その39 「約束」

2014.06.29

創世記21:1-5

子どものなかったアブラハムに神から「あなたの子孫に…」という約束が与えられたのは彼が75歳のときでした。そしてそれから25年経ち、彼が100歳のときに約束の子が与えられました。

1、神は約束を守る。

クリスチャンたちから「信仰の父」と呼ばれるアブラハムですが、ここまでの彼の歩みを振り返ると、決して揺るぎない信仰の生涯とは言い難いものでした。跡取り欲しさに家の召使いとの間に子を作ったり、自分の命惜しさに妻を地域の王に差し出したり、様々な葛藤を覚え、失敗もしています。

にもかかわらず神は「約束されたとおり」に、妻のサラを通して子どもを与えてくださったのです。神はご自身のなされた約束を反故にすることはないのです。

私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」Ⅱテモ 2:13

迷ったり、疑ったりする人間をご存じのうえで、神は約束してくださり、その約束を守ってくださいます。神は私たちの状態、状況と関わりなく、「約束を守る神」です。

2、神の約束は人に救い(大丈夫)を与えること。

この神の約束はただ単にアブラハムの血筋や財産を引き継ぐ後継者が生まれるというものではありませんでした。このアブラハムの子孫からダビデが生まれ、そしてイエス・キリストが生まれたのです。つまり息子イサクの誕生は、罪のために神から離れて生きることとなり、苦しんで生きるしかない人間をイエス・キリストを通して救うという神の人類救済計画の実現の始まりであったのです。

この私たちに「救い(大丈夫)」を与えるという約束は、今を生きる私たち一人ひとりにも与えられているものです。ではどうしたらその約束を手に入れることができるのでしょうか。

3、人は約束を信じて生きる。

ときには失敗をしたアブラハムでしたが、一方で彼が最後まで神の約束を信じぬいたのも確かなことです。パウロは新約聖書のなかで「アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした(ロマ 4:19)」と証言しています。

神の約束が実現する方法やタイミングは、人の思いをはるかに超えるものです。自分が期待する時期に、自分が思ったとおりの方法で叶えられるわけではありません。すべての主権は神にあるのです。アブラハムはそれを我慢できず、疑ったり、焦ったり、自分のやり方で物事を進めようとする弱さを持っていました。しかしその弱さのなかで、いや人間的な可能性小さくなればなるほど、神だけを信じることができたのです。

私たち人間はこの神の約束を信じて生きるほかに、本当の意味での「大丈夫」を持つことはできません。自分の持っているものは有限で小さく、はかないものだからです。神は私たちに永遠を思う心を与え、神を求めるようにしてくださいました。自分で色々な神を作ることはできても、私たちに「大丈夫だよ」という約束をくださる神は一人しかおられません。この神の約束そのものであるイエス・キリストを心に迎え入れて、人生の「大丈夫」を手に入れましょう。

そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。 イザヤ 55:11

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