その123 安らかに

2016.12.25

ルカの福音書2章25-35節

生後40日目に神殿に連れてこられたイエスを見て、老人シメオンはこの子こそ長年祈り続けてきた「救い主」だと分り「安らかに去ることができる」と喜んで主を褒め称えました。様々な不安や恐れのあるなかで、私たちはいかにして「安らかに」新しい年を迎えることができるでしょうか。

1、救い主を見る

シメオンの悩み、不安は赤子のイエス様を見てすべて吹き飛びました。

彼は祖国、同胞のために祈っていましたが、イエス様を見たときに異邦人をも救う救い主であることが分り神に感謝しました。イエス様を見るときに、自分の問題が小さくなります。神様はさらに大きな計画を持っておられるのです。このシメオンの喜びが私たちにあるでしょうか。苦しみ、未解決の問題がたくさんある中でも、彼はイエス様を見て安らかに生涯を終えることができると喜び、感謝を捧げたのです。

クリスマスの主役はイエス様ご自身でなければなりません。そしてクリスマスだけではなく、どのようなときもイエス様を見上げる必要があります。イエス様を見上げつつ、新しい年を迎えましょう。

2、使命に生きる

シメオンは祖国の人々のために祈り続けることを使命として生きていたのでしょう。そしてこのイエス様を見た時、自分の使命が全うされたことを感じることができました。

使命とは命を使うと書きます。使命を全うせずに、安らかに死ねる人はいませんし、使命を知らずに、安らかに生きていける人もいません。一年を振り返り、自分の命を何のために使ってきたのか考えましょう。

シメオンはマリヤに向って非常に厳しい預言をしました。「剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう」と。これはイエス様が十字架に架けられるところを見るということでしょう。とても祝福とは思えません。しかしイエス様の十字架は多くの人のための祝福と変えられました。使命に生きると、苦しみさえもが良いことに変えられるのです。「来年もどうかこの命を神様のために使ってください」と祈ろうではありませんか。

3、忍耐して信じる

イエス様の十字架と復活は実際は30数年後のことです。ですからシメオン自身は救いそのものは見ていないのです。でも彼は満足しました。まだ見ていないものに満ち足りることができました。

信仰はじっと待つ作業です。忍耐して信じ続けることです。今年まだ実現していない祈りがあるでしょうか。解決されていない問題があるでしょうか。大丈夫です。何故ならもうすでに救い主イエス様が生まれてくださり、私たちのそばにいてくださるからです。すべての悩みを、イエス様の足元に置きましょう。そうすれば私たちは自由になることができ、心安らかに来るべき2012年を迎えることができます。

今週の暗証聖句

(愛は)すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。1コリント13:7

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