その163 選び取る

2018.04.08

申命記30章19-20節

この聖書の言葉は、モーセが40年の荒野の旅を終えるにあたって、約束の地カナンに入っていこうとするイスラエルの民たちに、いわば遺言のように語っている箇所です。ここでモーセが「選びなさい」と言っていることに注目してください。彼は決して「あなたがたはこれから自動的に導かれて、自動的に祝福されて、自動的に幸せになるのだ」とは言っていないのです。大切なポイントは、チョイス、選択です。選びとる主体は、神の側にあるのではない、私たち人間の側にあるのだというのです。

人間の問題の根底には、「自分の力では何も変えることができない」というあきらめがあります。「自分はこんなふうになることを決して自分で選んだわけではないし、そしてこれからも自分がなりたいようになることを選ぶことはできない」という不満、失望があるのです。

しかし今朝私たちは、自分自身の選択によってみずからの歩みを決定することができることを覚えましょう。遺伝子や育った環境で人生が決まってしまうのではないのです。もちろんある程度の影響を受けることはあるかもしれません。しかし、それで100%人生を支配されるのではありません。私たちは、たとえどんな状況に置かれていようが、私たち自身の選択によって、神を選び、いのちを選び、祝福を選び、自分の人生を高め、良い方向へ軌道を修正することができるのです。

1、いのちを選ぶ=キリストの十字架を信じる。

最初の人アダムが食べてはならないと言われた木の実を食べることを選択したことによって、人間は神から離れて生きなければならなくなりました。人間はこの地上で有限の存在として、いつかは死ぬ存在として定められてしまいました。心の中に神を持たずに、死んでいく存在だということ。これが人間の苦しみの根源です。私たちがゴールとして死しか選べないのであれば、私たちの人生は絶望であり、何をやっても同じことです。

しかし神は私たちにいのちという選択肢をも用意されています。ご自身の御子イエス・キリストをあの十字架の上で苦しませ、死なせ、葬らせ、そしてよみがえらせることによって、このことを信じるすべての人にもう一度新しいいのちを与えようとされているのです。

祝福を選ぶために...

2、神を第一とする。

私たちは日常生活の中で、神を第一とするか、それとも第二第三とするか、常に選択を迫られていることを忘れてはなりません。

3、求める。

神の愛と祝福には限界はありません。「今日は一つ祝福をいただいたからこれ以上望んだらずうずうしい。明日にしておこう。」などと考える必要はありません。子どものように、ありのままの姿で神に大胆に祈り求めましょう。

今週の暗証聖句

だから、 神の国とその義とをまず第一に求めなさい。 そうすれば、 それに加えて、 これらのものはすべて与えられます。マタイ6:33

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