その36 「聖霊のバプテスマ」

2014年6月7日

使徒の働き2章1-4節

聖霊のバプテスマとは…

1、聖霊に満たされる最初の体験である。

聖霊のバプテスマを受けることと、聖霊に満たされるということは同じ意味です。では何が違うかと言うと、聖霊に満たされた最初の時を聖霊によるバプテスマを受けたというのです。2章の4節に「みなが聖霊に満たされて・・・」と書かれていますが、この弟子たちにとってはこれがイエス様の言われた聖霊のバプテスマを体験した時でした。しかしこの後使徒の働きを読みますと、弟子たちを表す時に何度も「聖霊に満たされて」という表現がされているのに気が付きます。聖霊に満たされることは、一度ではありません。何度でも満たされるし、何度でも、というよりいつも満たされていることを求めなければなりません。

2、救いの後の、救いとは別の体験である。

私たちは聖霊のバプテスマによって救われるのではありません。あるいは救われたことを聖霊のバプテスマを受けたと呼ぶのでもありません。もしそうであれば、イエス様は「聖霊があなたがたにのぞむとき、あなたがたは救われます」と言ったことでしょう。イエス様が言われたのは証人となる力のことでした。この時弟子たちはすでに救われていたのです。でも聖霊によってバプタイズされる必要、聖霊に満たされる必要があったのです。

3、聖霊に圧倒され、聖霊に完全に支配されることである。

バプテスマとは洗礼ということです。このギリシャ語のバプティゾーという言葉は、もともとは圧倒されるという意味です。もっと突っ込んだ言い方をするならば「死ぬ」ということをも連想させる言葉です。洗礼式は、水に浸かることによって、一度死んで、そして新しく生まれ変わるということを象徴する儀式です。それと同じように、私たちが聖霊に完全に浸りきって、死んだのと同じような状態になって、体も含めてその支配を委ねきった状態になること。このことを聖霊のバプテスマと言うのです。

4、異言によって証拠づけられる。

ルカは、聖霊に最初に満たされた人に、何か共通するしるしが現われることを教えています。それはこの2章4節にあります次の聖句です。「2:4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした」。彼ら自身が知らない言語が、口から出てきたというのです。この聖霊が語らしめるままに口からでる言葉を異なる言葉、異言と言います。

5、奉仕の力を与えるものである。

聖霊の力とは愛する力です。聖霊に満たされる時、私たちは神様を愛する力、人を愛する力をいただくことができるのです。

①礼拝に対する熱心さ

②祈りの生活が豊かになる

③証人としての生活に力が与えられる

ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。使徒1:5

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