その118 「良い人生だった」

2016.10.02

マタイの福音書25章14-30節

ある人が旅に出る前に、自分のしもべたちに、それぞれ5タラント、2タラント、1タラントを預けます。旅を終えて帰ったきたときに、それぞれのしもべたちと清算をはじめます。5タラントと2タラントを預かったしもべたちは、主人の留守の間に倍にしたので、主人に誉められます。が、1タラントを持っていたしもべは、それを地に埋めてそのままにしていました。主人はその態度を責め、彼の持っていた1タラントを10タラント持っていたしもべに与えるよう命じます。

1、人生のすべては預かりもの。

 主人がしもべたちに自分の財産を預けたように、神様は私たちに人生のすべてを預けてくださっています。能力・才能だけではなく、私たちの持つ時間、環境、人間関係、お金など、すべてが神様から預かっているものと考えたらどうでしょうか。身体も心も、自分のものだからと言って粗末に扱うことはできません。神様のものであり、いつかはお返ししなければならないと思えば、大切にしなければという気持ちが生まれます。また、他の人に対する見方も変わるはずです。皆神様から命を預かり、生きています。その土台には、神様の私たちに対する愛と信頼があるのです。それに気づくことができれば、私たちのほうからも、神様に対する感謝と責任感が生まれてくるはずです。

2、清算のときがくる。

 これらのしもべたちのように、どんな人も、その人生を神様の前で清算しなければならないときがきます。一義的にはここでキリストは世の終わりに関して教えたものと考えられますが、同時に私たち一人一人の人生の終わりのときと考えることもできます。私たちはこの地上での命には終わりがあることを意識し、そのときに、「ああ良い人生だった」と心から言えるようになるために生きなければなりません。死は決して考えないように避けて通るものではなく、人生の充実させるために意識しなければならないものなのです。

3.セイカ(成果)よりセイカツ(生活。)

預かったタラントを2倍に増やした2人のしもべのように、神様に誉められるためにはどうしたら良いのでしょうか?神様は決して私たちが何かを「増やす」ことを期待されているわけではありません。鍵となる言葉は「良い忠実なしもべだ」という言葉と「主人の喜びをともに喜んでくれ」という言葉です。しもべに財産を託した主人の心には、愛と信頼が土台としてありました。しもべたちは、姿が見えなくなっても常に主人のことを考え、主人と一緒に喜ぶために何をするべきかを考えていました。この日頃の生活態度を忠実と呼び、その生きざまが実を結んでいたのです。一方怠惰なしもべは、預かりものを土に埋めてしまうことで、主人のことを忘れ、自分勝手な生活をしていました。そこには主人に対する感謝も責任感も、一緒に喜びたいという気持ちもありませんでした。この彼の生きざまを主人は怒られたのです。

 私たちは日頃の生活のなかで、神様を思い、神様に感謝し、神様からお預かりしたもの(自分の命を含めて)を神様のために使いたいと願いながら生きることを求められています。最後に「良い人生だった」と振り返る生き方を今日からしていきましょう。

その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』   マタイ25:21

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