その86 「心を良いもので満たす」

2015.11.29

コロサイ人への手紙3章1-4節

 一見私たちの心の状態というものは周りの状況次第のように思えます。自分にとって良い人が回りにいると、心も穏やかだけど、自分の嫌いな人がそばにいると、心が騒ぐとか、誉められるとハッピーだけど、けなされるとアンハッピーとか、自分の心は周りの人の態度や言葉次第というふうに思う人が多いと思います。しかしそのような、周囲に依存した思考を、変えていこうと思うのです。

1、人間は思考に左右される。

 パウロは人間というものの心が、救われてはいても、地上にしばりつけられる傾向にあることをよく知っていました。コロサイのクリスチャンの中には未だに、ユダヤ教の律法を守ることや、異端的な教えや、また肉体に様々な難行苦行を与えることに縛られていた人がいたのです。そこでパウロは、「あなた方の思考を変換しなさい。2節にあるように「地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい」と薦めました。「天にあるものを思う」とは日常生活の様々なことに心を奪われず、またこの世の価値観に引きずられないように、心を本当に必要なもの、良いもので満たすことです。神の子である自分に、どれほど大きな祝福が注がれるか信じて、「できない」から「できる」に、「駄目だ」から「あきらめない」に、「どうせ負ける」から「いや勝てる」に、積極的に困難に立ち向かっていく思考を、自分の心に植えつけることが、大切なのです。

2、人間の思考を縛るものがある。

 私たちが天にある偉大なものを思い、自分の思考を変えるためには、私たちの思考を縛る地上のものから解放される必要があります。

① 過去

 私たちの人生は過去の延長線上にあります。過去に起こった出来事を否定することも、取り消すこともできません。しかし過去に起こったつらい出来事にいつまでも心を縛られて、前を向くことができなくなる場合があります。私たちは、イエス・キリストを信じる信仰によって、すべてが新しくされています。「どうしてあんなことが起こったのか」と問い続けることをやめて、代わりに神様が与えてくださる良いものをありがたく受け取って、これからの人生を最大限に生かすことを考えましょう。

② 苦い根

 心の奥底で、誰かに対する怒りや恨みを抱えたままでいると、自分でも気がつかないうちに心に負担がかかります。ある人にとっては失望、ある人にとっては自己嫌悪の場合もあるでしょう。苦い根を処理して、元のきれいな心を回復させましょう。そうでないと、私たちの思考を変えることはできないのです。聖書は繰り返し、私たちは人を赦さなければならないと教えています。そうでないと、苦い根に人生を汚染されてしまうのです。

3、神の報いを信じよう。

神様はすべてご存知です。私たちの涙も、苦悩も、弱さも、問題も、すべて知っておられます。すべてご存知のうえで、私たちに手を差し伸べて、「わが子よ。私に委ねなさい。私があなたに恵みを注ぐのだ」と言っておられるのです。これ以上大きな励ましがあるでしょうか。私たちの心を良いもので満たすためには、すべてをご存知の主が、必ず報いてくださるという信仰の上に、私たちの考えを建て上げていかなければなりません。

 今からでも遅くはありません。人生の流れを、良い方向に変えていこうではありませんか。

あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。     

ヨハネ16:33

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