その207 幕屋 モーセの生涯⑫

2019.10.06

「幕屋」

モーセの生涯⑫

出エジプト記 25章1-9節

神様はモーとイスラエル人たちに「幕屋」の詳細な設計図を託し、これを作り、一緒に荒野を移動するようにされました。この幕屋は今を生きる私たちにどのような意味があるのでしょうか。

1、 幕屋は神様がイスラエルと住むために作られた。

25:8 彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。

 神様ご自身がイスラエルの民とともに住むということがこの幕屋作成の最大の目的でした。その後この幕屋は、荒野のどこに行ってもイスラエルの真ん中に置かれ、神の臨在の象徴となりました。モーセとイスラエルにとって、神様が一緒にいてくださるということは、ただ単に感覚的なことではなく、具体的に幕屋というものがあってこそ、実感できるものでした。

 神様が一緒にいてくださるということの重要性は今を生きる私たちにも同じことです。私たちはこうして日曜日になるとここに集まり、礼拝を捧げます。それはこの礼拝に出ると、「神様にお会いできる。神様がここにおられるのが分かる。感じられるから」と言うことです。神様の臨在があってこその礼拝であり、信仰生活です。このことを大切にしていきましょう。

2、 幕屋は人間の罪の問題を解決するために作られた。

 幕屋が作られたのは、罪の赦しの儀式をささげるためであったということが重要です。

 30:10 アロンは年に一度、贖罪のための、罪のためのいけにえの血によって、その角の上で贖いをする。すなわち、あなたがたは代々、年に一度このために、贖いをしなければならない。これは、【主】に対して最も聖なるものである。」

 建物の中には聖所と至聖所とがあって、仕切りの垂れ幕で分けられています。その垂れ幕を通って、一年に一度だけ、しかも大祭司だけが入ることが赦されていました。それは、民の罪のために雄牛の血とやぎの血をふりかけるというものでした。

 しかしこのことは、決して完成されたものではありませんでした。人間は自分の力で、罪の問題を解決することはできません。

神様はこの幕屋を持たせることによって、人々に罪が赦されるためには何が必要なのかを教えようとされたのです。

3、 イエス・キリストは幕屋を完成した。

 イエス・キリストは、幕屋の目的であった、神が人間と一緒にいてくださると言う約束と、人間の罪を洗い清めると言う約束を、十字架に架けられ、復活されることによって完成されました。私たち人間が、「神が送ってくださった御子キリストが、あの十字架の上で血を流された。それは他の誰のためでもなく、この私のためだった」と信じて祈る瞬間に、キリストの霊である聖霊が、私たちの中に入り、住んでくださいます。この真理によって、私たちはいつも神様とともに生きるという恵みを体験しています。幕屋、神殿と続いた型が、この恵みの時代に、クリスチャンの上に成就したのです。この新約の時代、恵みの時代に生かされ、そしてイエス様の十字架の一回の犠牲によって、罪の赦しがなされたことを感謝しましょう。

あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。1コリント3:16

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