その38 「大丈夫」

2014.06.22

ヨハネの福音書14章27節

キリストは十字架に架られる前の最後の晩餐の席で、弟子たちに平安を与えると約束されました。この平安は世界のどこにもないもので、他の誰も与えることのできないものだと言うのです。

実はその平安とは私たち人間が造り主である神から離れたために失っていたものです。キリストはその罪を一身に背負われ、十字架に架られ、三日目によみがえられました。この神の愛のメッセージを素直に信じ、受け入れるだけで、私たちは聖霊をいただき、この平安を受けることができるのです。この平安という言葉を「大丈夫」と言い換えることができます。キリストは私たちに「私を信じたら大丈夫だよ」と約束してくださっています。

1、過去に対する大丈夫。

  私たちは過去の色々な傷や痛み、失敗、恥を背負って生きています。過去は絶対に取り消すことも出来ないし、起こったことを変えることもできないのに、過去に縛られている人が大勢います。ある人は後悔を持ち続け、ある人は他の人に向かって憎しみを握りしめ、ある人は自分に対する怒りにまとわりつかれ、前に進むことができないでいます。キリストが与える平安は、このような過去の縛りを打ち砕きます。何故ならキリストを自分の主と信じる者はすべてが新しくされ、過去に起こったことの意味を変えてくださるからです。

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。Ⅱコリ 5:17

「もうあなたの過去のことは大丈夫だから」と言ってくださるキリストを信じましょう。

2、今の大丈夫。

  キリストから与えられる平安は今の私たちの心に深く根付きます。私たちはすべからく「幸福」を追求して生きています。しかし誰も「どういう状態が幸福なのか。どうやったら幸福になれるのか」を教えてくれません。だから自分でルールを作るか、あるいは他人が決めたルールに則って幸福になろうとしているのです。しかしどんなに頑張って何かを手に入れたとしても、そこには本当の幸福はありません。つまり心から「大丈夫だ」と思えないのです。人生のルールは造り主に聞く以外にありません。自分が神から離れて自分勝手に生きていることを認め、そのために十字架に架ってくださったキリストを自分の主と告白するときに、本当の幸福とは何かが分かり、すべての状況にあって「大丈夫」だと実感することができます。

3、将来の大丈夫。

  いくら過去のこと、現在のことに「大丈夫」をくださったとしても、「あなたの将来のことは分からない」と言われたら本当の「大丈夫」にはなりません。しかしキリストは「世の終わりまで一緒にいる」と約束してくださいました。この先私たちの前に何が待っていたのとしても、私たちは「大丈夫」です。 そしてたとえこの地上での命が終わったとしても「大丈夫」だという確信を持てるのです。何故ならキリストがずっと一緒にいてくださり、私たちの天の御国に連れていってくださるからです。 過去、現在、そして未来の自分に「あなたは大丈夫だよ」と言ってくださるキリストを信じませんか?きっと本当の心の平安を手に入れることができます。

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。ヨハネ 16:33

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