その68 「「ちょっと待って」と言わない」

2015.05.31

創世記22:1-14

 イサクがこの時何歳であったのかは分かりません。私達に分かることは少なくともたきぎを背負って山に登れるほどの体力があったということです。一方のアブラハムは100をとうに越えた年齢。イサクが本気で抵抗したら、高齢のアブラハムに押さえつけられるわけがありません。しかしそのような記述は一切なく、イサクはただアブラハムにされるがままに、縛られて、たきぎの上に置かれたのです。ここにイサクの従順さが表わされています。

1、イサクの信仰でもあった。

 この物語はアブラハムだけの信仰ではなく、イサクの信仰のあらわれでもありました。この物語に書かれている、イサクがアブラハムに言ったことはただ一つです。「お父さん。」「何だ。イサク。」「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえにする羊はどこにあるのですか。」「イサクよ。神様ご自身が備えてくださるのだ。」このやりとりの中で、イサクは父アブラハムの信仰と、そして自分が信じなければならないものを確信したのでしょう。つまりイサクはアブラハムの背後におられる神を信じていたのです。だからこそ、アブラハムにされるがままに、縛られ、薪の上に載せられたのです。 

 私たち信仰者の行い一つひとつに神様との個人的関係が必要です。「クリスチャンだから」「教会員だから」ではなく、「私は神様と一緒にいるから」「私は神様に従いたいから」という主体的な信仰を持っていきましょう。

2、神の計画をおしすすめる。

 神の計画は従う者の従順があって初めて実現します。神は12章でアブラハムを召し出して、彼を祝福し、彼が全世界の祝福となることを宣言されました。これは変わることのない神様の約束なのですが、同時に神はここの16節でこのように言っておられます。ここではアブラハムが従ったから、前から約束していたこの約束を改めて、約束しようと言っておられるのです。アブラハムの従順とさらに、イサクの従順が、家族の祝福と、全世界の祝福を成就させたのだと聖書は教えています。

 アブラハムとイサクの素直に従う信仰が、やがて世界を変えるような大きな、神様のご計画を推し進めました。私たち一人一人の従順が、やがて、日本を変え、世界を変えるかもしれない。そんな意識を持って、日々の信仰生活を送ってまいりましょう。

3、キリストの姿を表している。

 このイサクの従順はキリストの従順を表わしています。父に黙々と従って、自らが犠牲になりかけたように、キリストも黙々と父なる神に従って、十字架につけられました。

 このキリストの従う姿が私達に何をもたらしたのか説明の必要はないと思います。私たちは彼の十字架の贖いを信じるだけで、罪赦され、永遠の命を受け取ることができるのです。これは神様のご計画であり、イエス様の従順が、この神の計画を実現させたのです。私たちもこのキリストの足跡を踏みしめて、歩むように求められています。神様がこの世界を変えてくださるために、私たちがしなければならないことは、ただただ、聞き従うことです。私たちが信仰を持って、「神様ならできる。」そう信じて従うときに、神様の愛のご計画がこの世界に実現します。私達一人一人の人生の中で、このような御業を見ることができるように、日々神様に従ってまいりましょう。

(キリストは)自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。    ピリピ2:8

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