2025.08.17
士師記3:12-30
私たちは人生の中で「なぜこんな私が?」と思う瞬間を経験するのではないでしょうか。「自分には能力が足りない」「体が弱い」「経験が乏しい」「周囲からは役に立たないとみられる」
しかし聖書は語ります。神は人の弱さをもってご自身の計画を進められるのだと。今日とりあげるエフデは、まさにその代表的な人物です。イスラエルのために立ち上がった彼の姿から、私たちがどう神に用いられるのかを学んでいきましょう。
1、神様の召しに応える。
3:15 イスラエル人が【主】に叫び求めたとき、【主】は彼らのために、ひとりの救助者、ベニヤミン人ゲラの子で、左ききのエフデを起こされた。
ここで大切なのは、エフデは自分の意志で立ち上がったのではなく、神が起こされたということです。周りの人が彼を選んで推薦したのではなく、自ら立候補したわけでもなく、神ご自身がエフデを選ばれました。でもその目的は「彼らのために」、つまり共同体全体の救いためだったのです。
同じように、私たちは日常では普通の人間にすぎません。人と比べて何か優れていることはないかもしれません。しかしひとたび神が選び、声をかけてくださるのなら、私たちは神の呼ぶ声に応え、立ち上がらなければならないのです。神は私たちを「救助者」として用いてくださいます。
2,弱さを神に委ねた。
聖書はエフデを「左きき」と記しています(3:15)。ヘブル語では「右手の不自由な」というニュアンスもあります。つまり、エフデは人から見れば戦いには不向き、リーダーには不適格な人物だったのです。しかし、その弱さが神の武器となりました。
敵は彼を「危険ではない」と判断し、王の前に一人で入ることを許してしまったのです。
私たちにもそれぞれ弱さがあるかもしれません。学歴のなさ、健康の問題、性格のコンプレックスなどを抱えている方がおられるかもしれません。しかしそれらを恥じる必要はありません。むしろその弱さが神の御業を表す器となるのです。自らの弱さを神にお任せしましょう。
3、信仰によって大胆に行動する。
エフデは王に近づき、命がけで剣を突き立てました(3:21)。そして民に向かってこう宣言しました。
3:28「主はあなたがたの敵モアブ人を、あなたがたの手に渡された」
彼の大胆さは、自己信頼からではなく「主が渡された」という信仰から来ています。
私たちも神の呼びかけに応えましょう。弱さを恥じず、神に委ねましょう。そして信仰によって逆風の中でも一歩を踏み出してまいりましょう。そのとき、私たちを通して家族に、教会に、地域に神の勝利と解放が現れます。
しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。2コリント12:9