その221 祝福の原則

2021.05.16

モーセの生涯22

いよいよモーセの長い告別説教も終わりにさしかかっています。このモーセの長い説教の結論は一言で言い表すことができます。祝福の原則です。この後のイスラエルの歴史は、この神様の原則に従うときに祝福され、従わなかったときに災いを受けるというものでした。

私たちが神様を愛し、神様の言葉を愛し、それに従うのならば、素晴らしい祝福を受けるのです。どのような祝福でしょうか。

1、所有物の祝福

神様は祝福を選び取る者には、その所有物を良い物で満ち溢れさせると約束してくださっています。古今東西、人間は常に自分の持っているものに関心がいくようになっています。自分はどれだけ持っているだろう。また持てるのだろう。そして持ったら持ったで、それをいつ失うのだろうかと心配になる。それが人間の本性です。

しかし、神様ははっきりとここに、地の産物も、家畜の産むものも、祝福されると宣言しておられます。かごも、こね鉢も祝福されると言われています。これは、生涯に渡って、食物のことで心配する必要はないのだということです。神様は人間の本質、また人間の不安の原因もよく御存知の方です。私たちが不安にならないように、約束してくださる神様でもあります。この神様の言葉に聞き従い、命令を守るのならば、神様が生涯に渡って、私たちの所有物を良いもので満たしてくださるということを信じましょう。

2、仕事の祝福

2回も「手のわざを祝福してくださる」と書かれていることに注

目しましょう。神様は、私たちが働くその手のわざ、仕事を通して生み出す様々なものを祝福してくださると約束してくださっているのです。

元来聖書的に言えば、働くということは否定的なことととらえることができます。本来は働く必要がなかったのに、働かなくてはならなくなったわけですから。しかし、この神様の祝福によって、働くことの意味が変わることが分かります。神様は、ご自身に従う者に対しては、のろいを祝福に変えられるのです。私たちが、本当に生甲斐、やり甲斐を持って仕事をしたいと考えるのならば、神様の祝福を選び取る必要があるということです。神様に従いましょう。

3、存在の祝福

神様は、私たちの存在の意味、意義を根本的に変えることのできる神様です。神様はアブラハムを選び、世界の祝福となるように定められました。その子孫だけが祝福されるということではなく、子孫を通して世界全体に祝福が及ぶようにされたのです。それがイエス・キリストの十字架と復活によって実現しました。

私たちクリスチャンは神様に見出され、この地上にあって特別な存在となることができます。人間の目にはクリスチャンではない他の人と変わりがないように見えたとしても、神様の目から見たら全く違う存在であり、祝福の対象となります。存在の意義が与えられるのです。人生に明確な目的が与えられるのです。何と素晴らしいことではないでしょうか。神様からの一つ一つの祝福を信じて、期待して歩んでいきましょう。

今週の暗証聖句

空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。マタイ6:26

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