その745 リバイバルのはじまり

2025.09.21
士師記3章31節
シャムガルの名は聖書のなかで、この一節しか出てきません。一体この人がどんな人だったのか。どんな背景でペリシテ人と戦ったのか。その後どのようにして民を裁いたのか、裁かなかったのか、さっぱり材料がありません。しかしこの短い記述のなかに、もしかしたら神様がこの国に始めようとされているリバイバルの鍵があるのかもしれません。

1、神様は小さな器を用いる。

このシャムガルがどんな職業の人だったかと言うと、ヒントは「牛の突き棒」という言葉です。農業で、畑を耕すときに、牛を歩かせるために使っていたようです。ということで、シャムガルは農夫だったということが分かります。

前回見たエフデは右手の不自由な人でした。今回のシャムガルも一介の農夫でした。そして次回見る予定のデボラは女性でした。そしてその後のギデオンは、敵が怖くてたるの中に隠れていたような人です。神様は、多くの人が神を忘れ、神を侮っているような時代にあって、あえて小さな、社会的にも人から一目置かれるようなことのない人を選び、召し、用いて、ご自身の御業を推し進めようとされたということが分かるのです。神様が始めるリバイバルは、無名の小さな器から始まります。

2,神様は私たちが持っているものを用いる。

ペリシテ人とイスラエル人には、決定的な文明の差がありました。ペリシテは鉄を扱う技術力が発達していたのです。しかしシャムガルは「牛の突き棒」でペリシテ人6百人を打ったと書かれています。ペリシテの武器が優れ、イスラエルは太刀打ちできない。そのような状況のなかで、彼は、日頃仕事で使っていた「牛の突き棒」で戦い、勝利を収めました。つまり、神の霊がともにいるのであれば、武器など関係ない。神様はどんなものをも偉大な武器に変えてくださり、勝利を与えてくださるのだということです。神様が始めるリバイバルは、特別でなくても、私たちが持っているものが用いられます。

3、神様はどんな状況でも働かれる。

シャムガルの物語は短いものの、彼もまた「イスラエルを救った」とはっきり記されています。名も知られていない人物でも、神の歴史の中では重要な役割を担っています。

「あなたの手にある“牛の突き棒”は何でしょうか?目に見える状況がどのようなものであったとしても、神様はリバイバルを起こし、この国に救いを与えてくださいます。そのために、私たち一人ひとりを用いたいと願っておられるのです。私たちも、今自分にあるものを主に差し出しましょう。神様はそれではだめだとは言われず、それを用いて、勝利を与えてくださいます。神様を信じて、主の霊によって、力を与えていただきましょう。

しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。2コリント12:9

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