その133 人生の価値

17.04.02

イエスのたとえ30

マタイの福音書20章1-16節

イエスはこの後、十字架の苦しみを受けるために、エルサレムへと向かいますが、弟子たちにこの「天の御国」のたとえを教えられました。朝早くから一日中働いた人と、夕方5時から1時間だけ働いた人の労賃が同じだったというこのたとえ話は、私たちに何を教えているのでしょうか?

1、行いではなく恵み。

 20:14 自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。

神の国は私たち人間が何をしたかによるのではなく、一方的な神の恵みによって入ることができるということが教えられています。朝早くに声をかけられた人、12時と3時に呼ばれた人、そして5時に呼ばれた人、皆主人に声をかけられなければ働くことができなかった人です。誰が選ばれ、誰が与えられるかという主権はただ神様にあり、人間には何も付け加える力も権利もないのです。そして神様はどんな人にも等しく恵みを与えられます。それが神様ご自身の御心だからです。

このたとえを読むと、私たちは自分を「朝早くから働いた者」と想定し、だから「5時から働いた者が同じ賃金なんて不公平だ」と思ってしまいがちです。しかし自分こそが「5時から呼ばれて、1日分の賃金を貰った者」と考えたらどうでしょうか?「何と気前の良い主人だ」と思うことでしょう。神様は恵みによって私たちに声をかけ、ご自身の国に招いてくださいました。感謝しましょう。

2、人間をしばるもの。

 このたとえはまた、私たちが日ごろ何に縛られて生きているかを気付かせてくれます。私たちは世の価値観に縛られているのです。労働時間や成果にとらわれ、人と自分を比べることにとらわれています。神様から与えられた日々のなかで、与えられた仕事をし、与えられた食物で生きるだけで十分幸せなはずです。しかし私たちは人と自分を比べ、人よりも多くのものを持つと誇り、少ないと妬む弱さを持っています。あるいは人と同じことができないことに、劣等感を抱いてしまうかもしれません。そのような人生には心の底からわきあがる喜びがみられなくなってしまうことでしょう。聖書はその原因を罪であると教えているのです。

3.何が大切か。

 私たちにとって大切なことは、私たちを創り、愛してくださる神様の声に気付き、その方のところに帰っていくことです。神様は人生の目的を知らずにさまよっている私たちに声をかけてくださいます。そして私たちの能力、働き、容姿、所有物などには一切関係なく、人生に目的を与え、豊かな対価(永遠のいのち)を与えてくださいます。そこに人生の価値があるのです。この世の価値観に流されることなく、まっすぐに神様をみつめましょう。そして一日、一日を神様と一緒に生きていきましょう。

だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。  マタイ 6:34

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