その146 主の祈り②

2017.8.27

マタイの福音書6章9-16節

1、私たちの人生は神の栄光を表すためにある。

「御名があがめられますように」という祈りは、「私の人生は、私が誉められたり、私が成功したり、私が野望を実現するためにあるのではありません。父なる神様。私の人生を通して、あなたの名が崇められ、あなたの栄光があらわされますように」と願うことです。私たちは、日常生活の中で、自分の都合、自分の好み、自分の計画、自分の願いを優先させてしまうものです。しかしこの祈りの言葉によって、「いやちょっと待てよ。自分は一体何のために生きているのだっけ?神様のために生きていなければ何をやってもむなしいじゃないか?自分の人生を通して、神様って素晴らしいとみんなが認めてくれなければ、どんなに苦労しても仕方がないじゃないか?」そのように思い出すことが求められているのです。

2、私たちの人生は神様と生きるためにある。

次に「御国を来らせたまえ」を見てみましょう。御国とは神様のおられるところです。神様が臨在されるところです。神様が支配されるところです。「神様がおられるところに自分もいさせてください。」これが、人間の最も切実な願いであり、祈りでなければならないとイエス・キリストは教えられたのです。「私たちをあなたの御国に入れてください」ではなく「あなたの御国をここに来させてください」と祈りなさいとイエス様は言われました。

御国が来るという表現には三つの違う段階があります。

① 教会が増え広がる。

イエス様の働きは、はまさしく神の国を広める働きでありました。福音が語られ、信じる者が起こされ、神が礼拝されるところ、それがすでに神の国であり、まさにそれは今の教会です。パレスチナの一角で始まったこの神の国は、聖霊の力によって、今でも前進し続けているのです。

②  イエス様が再び来られる。

今は悪魔の抵抗にもかかわらず、世界中で教会が増え広がっていますが、最終的な戦いの終わりは、イエス様が再び地上に帰ってこられるときです。世の人々は世の終わりを恐れますが、私たちは恐れる必要はありません。むしろ、「主よ、早く来てください」というのが私たちの祈りです。イエス様が来られた時にこそ、地上の悪はすべて滅ぼされ、イエス様が支配される、神の国が樹立されます。「御国を来たらせたまえ」という祈りには、そのような壮大な神のご計画の成就を願う願いがあることを覚えましょう。

③  聖霊に満たされる。

神の国が来るということ、神の臨在に入っていくということは、私たちのうちにおられる聖霊が主権をとり、私たちの霊、体、心を支配するということです。「御国を来たらせ給え」という祈りは、三位一体の神の第三位格であられる聖霊に対して、「今ここに来てください。私をとらえてください。私を満たしてください。私のすべてを支配してください」と願うことです。「御国を来たらせたまえ、神の霊に満たしてください。神の霊を実感させてください。神の霊と一緒におらせてください」と願うこと。これこそが、私たちの人生の目的です。

だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。    1コリント10:31

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