その111 「死後の報い」

2016.07.10

イエスのたとえ25

ルカの福音書16章19-31節

 誰にとっても「死」は怖いもの、不吉なものでしょう。しかし誰1人として避けることのできないものでもあります。古いラテン語の格言に、“メメント・モリ(memento mori.)”というものがあります。これは「死を忘れるな」「死を想え」という意味の言葉です。「死」に真剣に向き合ってこそ、今の「生」を良いものにすることができるのではないでしょうか。

1、死後の世界はある。

 キリストはこのたとえ話によって、死後の世界は明確に存在することを教えています。つまり肉体は滅びても、私たちの意識はある場所で継続されるようです。それも2つの世界があるようで、1つは安らぎの場所、もう1つは熱く、苦しい場所だと表現されています。勿論キリストが来世に触れた言葉は至るところにあり、彼が人々に地上の命だけではなく、死後の命のことを教えようとされたことは明白です。

2、どこに行くかは生きているうちに決まる。

16:26 そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』

死後の2つの場所を行き来することはできないと教えられています。つまりどちらに行くかはこの地上での生涯のうちに決定されるということです。 このたとえのクライマックスはその後の金持ちとアブラハムの会話です。ラザロを今生きている兄弟のところに送り、 自分と同じ場所に来ないようにして欲しいというのです。アブラハムの答は16:31 『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」でした。

3、キリストに希望がある。

しかし結果的に死からよみがえってメッセージを語った方がおられました。それがキリストです。キリストの復活こそが私たちに希望を与えます。

① 罪に打ち勝つ希望。

聖書は明確に死とは罪に対する罰であると教えています。しかしキリストが私たちの身代わりとなって十字架で罰を受けてくださったゆえに、神は信じる私たちを受け入れてくださるのです。もう罪に苦しめられることはありません。

② 再会の希望。

私たちは先に肉体を離れて神のもとに帰られた先人たちと再会することができるという希望が与えられました。地上での別れは寂しく、辛いものですが、信仰を持って生きた人と必ず天の御国で再び会うことができるのです。

③ 報いの希望。

私たちは人生をときに不公平に感じることがあります。しかし神はすべてを見ておられ、すべてに公平な方です。地上で労苦して信仰を護る者には、必ず大きな報いがあると聖書を通して約束されているのです。 混沌とした世界、行き止まりしかないように見える人生に希望があるのです。この希望を抱いて、力強く生きていきましょう。

人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。   マタイ16:26

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