その203 神の教会は建つ、立つ、発つ

2019.07.14

マタイによる福音書 16章18節

わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。  

1、神の教会は建つ。

 「あなたたちは私を何と言うのか」「あなたたちは私を誰だと思っているのか」と尋ねるイエス様は、「あなたこそ生ける神の子、キリストです」と告白したペテロに対して、「あなたはペテロだ。私はこの岩の上に私の教会を建てますと宣言されました。キリストご自身が、わたしがわたしの教会を建てますと宣言されています。

イエス様は「私が天に帰ったあと、自然に教会というものができるだろう」とは言われなかったし、「あなたたちの集まりが、教会と呼ばれるようになるだろう」とも言われなかった。明確な意思を持って、「この私が、私の教会を建てるのである」と宣言されたのです。私たちはキリストが教会を建てるお働きに、一緒に参加する特権を与えられています。これからも教会を建てあげていきましょう。イエス様が建てた教会ですから、イエス様が責任を持ってくださいます。

2、神の教会は立つ。

 教会はこの地に立っていること自体に価値があり、存在の目的があります。教会だけが、永遠の滅びから永遠のいのちへと至らせる福音を伝えることができます。そして導かれた人を迎え入れ、整え、神さまの国のために、働くことができるのです。もし教会がなかったら、今ごろ私たちは、神様の愛を誰も伝えることのない世界に、生きていなくてはなりませんでした。そう考えれば、私たちは「ああ教会があって本当に良かったなあ」と思うのです。誰も神様のことを教えてくれなかったら。誰も自分を造って命を与えてくださった神を教えてくれなかったら。誰も自分を愛し、受け入れてくださる神を教えてくれなかったら。世界の全ての人が、絶望の中を生きるしかないのです。

神の教会は立ちます。これからも立ち続けます。ご一緒にこれからも、この教会を建てあげていきましょう。

3、神の教会は発つ。

私たちの教会はこれからもここに立ち続けます。しかし同時に、中身はいつまでも同じところに留まらない。神様が示す方向に向かって、出発し、前進する必要があるということです。教会は常に変化しています。だから常に先を見据えて手を打っていかなければなりません。100年の歴史を持つ教会であっても、その中身は常に動いているのです。

勿論それは、人間の知恵によるのではなく、聖霊によらなければできないことです。群れを与るリーダーは常に聖霊に聞き、聖霊に従いつつ、群れを正しく導いていかなければなりません。

リバイバルに備える教会の第一歩を踏み出しましょう。収穫は多い、しかし働き人が少ないと主は言われました。収穫の時が迫っています。長い間祈ってきた、家族、友人、地域の人たちが教会に押し寄せるようになります。人生が変えられます。本当の命を見出します。喜びが溢れます。そのような教会になります。信仰を持って、そして明るく、楽しく、ご一緒にキリストの体である教会を建て上げてまいりましょう。

わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。  

マタイの福音書16章18節

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