その236 忘れないように

2022.08.14

ヨシュア記4章

契約の箱をかついだ祭司たちは、ヨルダン川の真ん中に立って、残りの民が全員渡り終えるのを待っていました。ヨシュアは各部族の代表者に、川の真ん中の祭司たちの足もとにある石を一つずつ持ってこさせ、それをギルガルで積み上げて、神様がなさったことのしるしとしました。その後、川の真ん中にいた祭司と契約の箱も川を渡り終えます。聖書は、契約の箱をかつぐ祭司たちが、川を渡り終えた瞬間に、留まっていた水が再び流れ出したと教えています。

1、 主の御業を記憶する。

4:22 あなたがたは、その子どもたちにこう言って教えなければならない。『イスラエルは、このヨルダン川のかわいた土の上を渡ったのだ。』

主が私たちの人生に何をしてくださったのか覚えて、それを後の世代に伝えることが大切だということです。このようなシーンは初めてではなく、聖書にたびたび見られることです。ヤコブも神と出会った記念として石をたて、祭壇としました。エジプトを脱出したことを記念とするために、過越しという祭りが始まりました。すべては自分たちが体験した驚くべき主の恵みをいつまでも記憶し、次の世代へと語り継ぐためです。

私たちも、いつもイエスに出会い、救われた最初の恵みに立ち返る必要があります。主がよくしてくださったこと。哀れんで救ってくださったその喜びを忘れないようにし、思い出さなければならないのです。主の良くしてくださったことを忘れないように、信仰生活の中で、自分なりに石を積み上げるようなことをしていきましょう。

2、主は、私たちに先立っていかれ、またしんがりとなってくださる。

契約の箱を持った主の祭司が水に足を踏み入れると、水が止まりました。彼らは川の真ん中まで歩き、そこに立ち、他の民たちが渡るのを見張っていました。すべての民が渡り終えるのを待ってから川をあがり、その直後に水が再び流れはじめました。つまり、民たちの先頭に立って川に入り、民たちのしんがりとなって川を渡ったのです。主の臨在は民に先立って歩き、また同時に民の後方を守り、民たちが最後まで渡りきるのを見守ってくださっていたということです。

あなたがたは、あわてて出なくてもよい。逃げるようにして去らなくてもよい。主があなたがたの前に進み、イスラエルの神が、あなたがたのしんがりとなられるからだ。イザヤ52:12

私たちの人生には、思いもかけないこと、苦しいこと、つらいことが必ず起こります。目の前に川が流れ、渡りたくても橋がないような状況がやってきます。そのようなときに、私たちは何を見るのでしょうか。私たちに先立って危険なところを渡られる神の後ろ姿です。そして渡り終わった後に、何を見るのでしょう。私たちの背後からじっと見守り、私たちの背後を守ってくださる神の暖かい眼差しです。このお方を信じるのならば、私たちに不足はなく、勝利が待っているのですよと聖書は約束しています。

主の良くしてくださったことを思い出しながら、この一週間も信仰の勝利を勝ち取りましょう。先立って歩まれ、しんがりとなってくださる神の守りの中で力強く歩んでまいりましょう。

今週の暗証聖句

わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。  詩篇103編2節

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