その250 この上もない喜び

2023/12/24

マタイ2:1-11                       

博士たちが「この上もなく喜んだ」ことに焦点を当てて考えてみましょう。

「この上もない喜び」のためには・・・

1、キリストを探さなければならない。

クリスマスが楽しくないのは、探しているものを間違っているからです。クリスマスの楽しさは、豪華なレストランでの食事にあるのではありません。またプレゼントにあるのでもありません。

この東の国の博士たちが何を探していたのか考えてみましょう。彼らは、救い主、イエス・キリストを捜し求めていたのです。

ユダヤ人ではない彼らが、長い道中様々な危険をもかえりみずに星を頼りにユダヤへと向っていきました。彼らを突き動かした動機とは一体なんだったのでしょうか。それはまさしく、彼ら自身にも、メシア、救い主が必要だという強い思いだったのです。

現代社会に生きる私たちにとっても、本当に捜し求めなければならないものは、同じです。本当の自分の孤独を理解してくださる方、生きる重荷を代わりに背負ってくださる方、苦しみを元から解決してくださる方、救い主を探し求めることが必要なのです。正しいものを捜しましょう。

2、聖書から探さなければならない。

この東方の博士たちは、ヘロデ王のもとに行き、尋ねました。「ユダヤの王はどこで生れるのですか。」王に呼び出された学者たちはすぐさまベツレヘムという町だと答えました。何故なら聖書にそう書かれているのだというのです。それを聞いた博士たちも、その答を信じ、ベツレヘムに行き、捜し求めていた救い主の誕生を見ることができました。聖書の中に、答があることを彼らも信じ、行動したのです。

今日も多くの人が、本当の幸せ、本当の生き甲斐を求めてさまよっています。その答は聖書の中にあるのです。聖書が明確に教えている救い主、イエス・キリストを信じることが人生の答です。本当の喜びを聖書から探しましょう。

3、正しい方に贈り物をしなければならない

この東方の博士たちは、イエス様を見出し、拝んだ後に、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を捧げたとかかれています。この贈り物にはどのような意味があったのでしょうか。これは王となるべき方への捧げ物であったと言われています。言い換えれば、「あなたは私たちの王です」という信仰告白とも言うことができます。星の導くまま、危険をかえりみず長い旅をし、やっと見つけた一人の赤ちゃん。彼らはその赤ちゃんを見て、自分たちは異邦人であるにも関わらず、「あなたは私たちの王です。救い主です。」と告白することができたのです。

私たちも、このクリスマスシーズンにまずやらなくてはならないことは、救い主が私たちを罪と死ののろいから救い出すために来られたというこの歴史的事実と真理を認め、「イエス様。私にもあなたが必要です。信じますからどうぞお救いください」と告白することなのです。本当の喜びに溢れたクリスマスにしましょう。

今週の暗証聖句

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネ3:16

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