2025.10.26
士師の時代⑤ デボラ
神のとき、神の助け
士師記4:1-24今日は4番目の士師、デボラをみていきましょう。聖書によりますと、エフデ、シャムガルの後、イスラエルはまた神を忘れ、悪を行うようになりました。そこで神様は、カナンの王ヤビンを用いて、イスラエルを苦しめられました。その軍隊の将軍をシセラと言いました。このイスラエルの苦しみは20年間続いたと3節に書かれ、「主に叫び求めた」という士師記特有のパターンが出てきます。
1、すべてのことに神のときがある。
神様が今回選ばれたのは、デボラという女性でした。勿論これだけでも大きな特徴ですが、彼女は以前からイスラエルを裁く人、おそらく今でいう裁判官のような仕事をしていました。このデボラが神様に用いられ始めてから何年後かは分かりませんが、「あるとき」長年イスラエルを圧迫しているカナンの軍隊を破ったことが分かります。イスラエルは20年間苦しめられていて、デボラはすでに、神の霊によって働きをしていた。しかし、実際にイスラエルを解放する行動を始めるのは、すぐではありませんでした。ここに、神様のときというものがあることを思わされるのです。
神様が決められることで、私たちには分からないのですが、苦しみのとき、勝利のとき、解放のときはすべて、神様の御手にあって、すべて神様が良いときを選んで、用いられるということを、私たちは知らなければならないのです。
2,神は助け手を備えられる。
デボラ本人が戦ったとか、戦いを指揮したのではなく、ここではバラクという人が呼び出され、戦いの指揮を執ったということが書かれています。デボラには自分で剣を持って戦ったり、軍隊の先頭にいて、敵に切り込んでいったりする力はありませんでした。しかし、彼女の言葉を信じ、実際に戦いに出ていった者たちがいたのです。
バラクはデボラの背後には必ず神様がいることと、デボラと行くことは神様とともに行くことであるという確信がありました。デボラにとっては、自分にはできないことができる働き手としてのバラクの存在があったことは事実です。
神様は、私たちを選ばれ、用いられますが、すべてのことを自分ひとりでやるようにとは望んでおられません。皆それぞれの得意分野があり、不得意分野もあるでしょう。神様は欠点を責めるのではなく、その欠点を補う助け手をも与えてくださるのです。
私たちは1人1人が別々に戦っているのではなく、力を合わせて祈る同労者が与えられています。これからも祈りを合わせ、日々の戦いに備えましょう。そして神様が、最も良いときに勝利を与えてくださることを信じて、心を合わせて、祈り続けましょう。
3、神は見捨てず救われる。
士師記のパターンは「イスラエルが主に叫ぶと、主は助けを送られた」というものです。どんなに倒れても、主は愛は絶えません。神の救いには「とき」があり、「方法」があり、「人」があります。そのすべてを主がご計画されているのです。
主は最善のときに、最善のかたちで勝利を与えてくださいます。この神をこれからも信頼してまいりましょう。
天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。 伝道者の書3:1