2015.06.21
これで納得!!!救いの一本道シリーズ 特別篇
創世記1章1節
多くの人が常識(だろう)と考えている「進化論」は創造主なる神を信じる信仰心と真っ向から対立するように思われているかもしれません。「この科学万能の時代に目に見えない神を信じるなんてばかばかしい」と。科学者でもなく、専門知識が豊富なわけでもない一人の信仰者の視点から、何故進化論をそのまま受け入れることができず、創造主を信じることを選ぶのかを考えてみましょう。
1、 進化論も仮説である。
多くの人が「当たり前、疑う余地もない」と思っている進化論ですが、厳密に言うとまだ論争の余地のある仮説のようです。以前日本テレビの「News Zero」の火曜キャスターをされていた竹内薫さんが「99.9%は仮説」という本のなかで、アメリカでも「進化論だけを学校で教えるべきか、対立する説(創造論)もあると教えるべきか」論争があると書いておられます。ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さんとノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥さんの対談(「大発見」の思考法)のなかでも「なぜか日本人は、人間はみんな猿から進化したと信じていますが、証明はされていない」とおっしゃられています。
2、 進化論は生命の起源は説明してない。
進化論では下等生物から人間に至る過程は説明しているかもしれませんが、最初の生命そのものがどこから、どのように地球上に存在するようになったかについては説明していません。これについては自然発生説、化学進化説などそれこそ山のように仮説がありますが、何一つ確定されていません。もともとの始まりが分からないのに進化論だけを信じて創造主としての神の存在を否定することができるのでしょうか。
3、創造主は生命の価値を教えてくれる。
創造主なる神を信じるということは結局のところ生命の価値をどのように捉えるかということとつながるのではないでしょうか。偶然によって生まれ、淘汰のなかで生き残ったものだけが生きる価値を持つのではなく、神が命を与え、生かしてくださると分かったときに、人は本当の意味で自分を受け入れ、愛し、他者の命をも大切なものとして考えることができるのではないでしょうか。聖書は明確に神が私たちを愛し、命を与えてくださったと教えています。
4、創造主は人生の価値を教えてくれる。
そして人は神からのかけがえのない命を与っていると分かったときに、初めてこの人生に意味があることを理解することができます。神を信じていても、良いことだけはなく、辛いこと、悲しいこと、苦しいこともあるでしょう。しかし神を信じて生きるときに、すべてのことに意味があり、すべてを越えて、導いてくださる神を知ることができるのです。
創造主である神を信じることは決して無謀なことでも、危険なことでもありません。一度しかない人生をうるおいのある、価値あるものとすること(それに気づくこと)です。 あなたも心の目線を変えて、あなたを愛している神を見上げてみませんか。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。イザヤ43:4