その119 「神様が一緒に」

2016.10.09

創世記39章1-23節

 奴隷としてエジプトに売られたヨセフは、ポティファルというエジプトの高官の家で働くようになります。しばらくしてこの人はヨセフに家のもの一切の管理を任せるようになりました。ところがそのポティファルの妻がヨセフを誘惑しようとしきりに誘うようになります。ヨセフは断固として拒否するのですが、それが憎しみを買い訴えられ、無実の罪で牢屋に入れられることになってしまいました。しかしそこでもヨセフは監獄の長の好意を得て、囚人たちの管理をまかされるようになりました。

1、神様が一緒にいた。

 ヨセフの生涯を見ていくうえでの重要なポイントは神様が彼と一緒におられた、ということです。この39章だけで何回主がヨセフとともにおられたと言う言葉が出てくるでしょうか。3節、21節、そして23節と3回も「主がヨセフとともにおられ」たと書かれています。

 ヨセフが苦難の中で生きてゆくことができたのは神様が彼と一緒におられたからでした。そして今神様は聖霊によってイエス・キリストを信じるすべての人と、世の終わりまで一緒にいるよ、と約束してくださっているのです。私たちもこのヨセフほどでないにしても大なり小なり生きて行くのには苦しみが伴います。時には「どうして自分がこんな目に会わなければいけないのだろう」と思うようなこともあるかもしれません。そんな時、あのヨセフとともにおられた主が、私とも一緒に居て下さるのだという約束を思い出しましょう。

2、周りの人の祝福となる。

 ポティファルはヨセフを認めて彼の家と全財産を管理させるようになりました。そうしたらどのようなことが起ったと書いてあるでしょうか。5節に神様はヨセフのゆえにポティファルの家を祝福されたと書いてあります。 私たちの願いは日本のすべてのクリスチャンがこのように、自分が神様の祝福を受けるだけでなく、その祝福が周りに流される管となることです。教会の中だけでなく、「クリスチャンのいる職場、教室、家庭、地域が何故かとても繁栄する。業績が上がり、人間関係が円満になり、一致が見られ、愛し合う。」そんな現象が見られるようになることを期待しましょう。私たちは神様の祝福を運ぶ大使として、大きな任務を持っていることを覚えようではありませんか。

3、神様に対して忠実に生きる。

このヨセフのように、神様から祝福を受け、その祝福を周りに流してゆく人生となる鍵は何でしょうか?それは神様に対して、忠実に生きるということです。ヨセフはポテファルの妻からの誘惑に際し「どうして…私は神に罪を犯すことができましょうか(9節)」と言っています。目に見える人々や状況の先に神様を認め、神様の心に適う生き方を常に目指していたのです。

 私たちも、何か大きな、特別なことをするのでなくても、今自分が置かれているところで、神様を認め、神様に仕え、しっかりと自分の責任を果たしてゆくことが大切です。フルタイムのクリスチャンとして、忠実に生きていきましょう。

何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。 コロサイ 3:23

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