その188 信仰者の落とし穴と特権

2019.01.20

「信仰者の落とし穴と特権」 モーセの生涯⑧

出エジプト記 16章1-8節

エジプトを無事に脱出したイスラエルの民たちは、すぐにモーセたちにつぶやく、要するに不平不満を言い始めます。ついこの間まで奴隷だった人たち、過酷な労働を課せられていて、助けを求めていたこの民たちが、「エジプトの奴隷生活のほうがよかった。あの時神に命をとられていたほうがよかった」、と言うのです。

1、信仰者の落とし穴は恵みと感謝を忘れること。

このイスラエルの民たちはエジプトで過酷な労働を課せられていました。数が増えすぎて、王たちに警戒されるようになったからです。ですからしばらく我慢したら生活が楽になるという可能性はゼロでした。エジプトの高官たちは、このイスラエルが完全に屈服して、脅威でなくなるぐらい数が減るまで、苦しめ続けたに違いないのです。つまりイスラエル人は絶望の中にいて、助かる望みのない状態に置かれていたのです。それがモーセを通して神様によって救われました。きっと彼らは心の底から感動し、喜んだに違いありません。

しかしほんの少しの間に、そんな感動は吹き飛んでいました。目の前の荒野を見て、そしてエジプトから運んできた食料がなくなると、「どこで水を飲むのだ、どこで食料を手に入れるのだ。」そう考えて恐ろしくなってきました。そして、「奴隷だったエジプト時代には肉が食べられ、パンが食べられたのに」、と不毛な、意味のないことを口にし始めるのです。

これがクリスチャンの落し穴です。自分が罪の奴隷だったことを忘れ、永遠の死に定められていたことを忘れ、目の前にあるものを恐れ、つぶやくようになるのです。クリスチャンが恵みと感謝を忘れたら終わりです。この後この民たちは大きな報いを受けることになります。私たちはいつもキリストの十字架を見上げて、感謝して生きるものとなりましょう。

2、信仰者の特権は必要が満たされること。

神様はマナを毎朝降らせてイスラエルの民たちを養いました。多く集めても、少なく集めても結果は同じ、自分の食べる分だけでした。ここで覚えておきたいことは、必要なものを、必要な分だけだということです。ここを踏まえていないと、クリスチャンの特権を勘違いしてしまうことになります。

私たちはクリスチャンとして、この日々養ってくださる神様をどれほど信頼しているでしょうか。荒野で行く先が見えなくなった時、人間は今持っているものに目を向けて、大変だ、大変だ、どうしようと慌てます。しかし神様は私たちを覚えて、養ってくださるのです。これがクリスチャンの特権です。私たちがイエス・キリストを信じて、神様の子供となったその瞬間から、私たちは神様に養われるという特権を持つことになりました。罪の奴隷から解放してくださった神様が責任を持って、新しい御国にたどり着くまで、毎日養って連れていってくださると約束しておられるのです。この原則を信じて生きていくとき、私たちは主が今も生きて、働いておられることを体験することができます。この新しい一年が、振り返ったときに、「何も足りないものがなかった。神様がすべての必要を、必要な分だけ満たしてくださった」と、証することができるように、主を信頼して前進していきましょう。

空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。マタイ6:26

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