試験と訓練

21.04.18

モーセの生涯21

申命記8章1-7節

イスラエルの民たちは、第一世代が死に絶え、ヨシュアとカレブ以外は、すべて荒野で生まれた世代となっていました。モーセ自身も、神様からカナンの地に入ることはできないと宣告されていました。その約束の地を目前にしながら、モーセは民たちに遺言とも言うべき、最後の説教をするわけです。それがこの申命記です。

荒野での生活はイスラエルにとって・・・

1、神様からの試験であった。

 40年間の荒野での生活は、彼らにとって決して喜ばしいことではなく、つらいものであったでしょう。しかしそれは、神様からの試みであり、イスラエルの民たちが、本当に神様の命令を守るか、彼らの心の中に、本当に神様を信頼する思いがあるかどうかを試すためだったのです。

 今私たちも、この荒野のような人生の中で、色々な苦しみを味わいながら、本当に神様の御言葉を第一としているか、本当に最後まで神様を信頼し続けているかということを、試されているということを覚えなければなりません。同時に、神様からの試験というものは、いつも恵みと守りに満ちているということも忘れてはなりません。神様からの試験は愛に溢れたものであり、私たちがいつも神様を見出すようにと導くものです。今目で見ているものは、私たちのゴールではないのです。今大切なことは、今に執着するのではなく、約束の地を見据えて、神様からの試験に合格することです。皆で励ましあって、この試験にパスしようではありませんか。

2、神様からの訓練であった。

 私たちは主からの訓練によって、神様に従うこと、神様の命令を守ること、神様に信頼することを少しずつ学んでいきます。誰だって痛い思いをするのはいやです。痛みのない生活、痛みのない人生を望むでしょう。しかし聖書は、私たちがたとえ神様を信じていたとしても、痛みはやってくると教えています。それは、決して神様が冷たい方だとか、私たちを守る力がないからだというのではなく、神様ご自身がときには愛する者を懲らしめ、訓練を施されるからです。私たちは、神様の訓練を喜んで受け入れ、そしてそれによって、さらに強い信仰者になれるように、もっと神様の御心を第一とする信仰者になれるように、もっと神様の偉大な御業を体験できる信仰者となれるように求めていかなければならないのです。神は、神の子どもとして愛する私たちをイエス・キリストに似る者へと訓練なされておられるのです。ですから、先に道を作られ、ともにおられるイエス・キリストに導かれ、イエス・キリストから目を離さないで、忍耐し、神を待ち望んで歩んで参りましょう。

3、主に感謝と賛美をささげよう。

8章の後半は、その約束の地に入ったときに、気をつけなければならないことが書かれています。神様の恵みによって生かされ、旅を続けられていること覚え、神様をほめたたえることが大切です。また生活が安定しても自分の力や能力で手に入れたと勘違いしないようにということです。神様に対してへりくだる心を持って、高ぶらないように。神様がどんなに素晴らしいものを与えてくださるかを忘れないようにしましょう。

苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。  詩篇 119:71

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