その198 恵みに生きる

2019.05.19

エペソ人への手紙 2章1-10節

恵みとは何でしょうか。お金を払ったり、何かをしたりすることによって受取るものではありません。また対等の関係でやりとりされるものでもありません。本来、上の存在から下の存在に送られるものであり、その逆はありません。受ける価値の全くない者が、あるいは受ける資格を全く持たない者が、受け取る贈り物、これが恵みです。では「恵みに生きる」とはどういうことでしょうか。

恵みに生きるとは・・・

1、「ありがたいなあ」と思って生きること。

パウロはここで、全てのクリスチャンは、誰一人の例外もなく、皆罪の中で死んだ状態だった者であり、悪魔に騙されて、悪魔に従って生きていた者であり、自分の欲望のままに生き、当然最後は神の怒りを受けて、滅ぼされるべき者だったのだと言っています。私たち人間は、まず何よりも、神の御前において罪人であることを理解しなければなりません。にもかかわらず、赦され、受け入れられることが恵みです。

この朝、聖書ははっきりと教えています。あなたが今までの人生でどんなに大きな罪を犯していたとしても、どんなに大きな失敗をしていたとしても、神様はあなたを愛して、受け入れてくださいます。それは驚くような神様の恵みによるのです。私たちに付け加えることのできるものなど一つもありません。ただ恵みです。支払うべき代価もなく、受けるべき資格もなく、一方的な恵みで今日も救われて、この教会に来ているのです。今日も明日も明後日も、この恵みを、ありがたいなあと感謝しながら、生きていきましょう。

2、キリストと生きること。

 クリスチャンであっても弱い人間です。時々孤独を感じます。大きな問題にぶつかってしまって、途方に暮れてしまうこともあるでしょう。自分の弱さを責めてしまうことだってあるでしょう。皆弱さを持って生きています。でも、この聖書は、「イエス様だけは、あなたから離れないんだよ。イエス様だけは、決してあなたを裏切らないし、あなたを見捨てないんだよ」、と約束しているのです。

恵みで救われた私たちは、もう一人ではありません。イエス様とともに歩くのです。それが恵みに生きるということです。どうかあなたのとなりに、イエス様がおられることを、忘れないで生きてください。

3.神の栄光をあらわすこと。

 もし私たち人間に設計者がいるのなら、何か目的を持って作られたに違いありません。神様が私たちを愛し、選ばれた究極的な目的は、神様ご自身の栄光のためです。私たちではなく、神様の栄光のために、私たちは生かされ、用いられるのです。それは神様から受ける恵みの応答であって、決して救いを受けるため、地獄に行かないためではありません。

 受ける資格のない者、受ける価値のない者が、受けた恵みに対して、今自分ができること、今自分が捧げられるもの、今自分が決断できることをやっていくときに、神様の栄光があらわされ、私たちの人生が変えられていき、この世界を良い方向に動かしていけるのです。

こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。Ⅰコリント 10:31

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