自分をどう見る?

2021.06.13

マタイ5章1-16節

イエスは5章から7章まで続く山の上の長い説教の冒頭で、驚くべきことを教えられます。それは「あなたの自分で自分を見る見方を変えなさい」というものです。まず私たちは、このシリーズを自分に対する見方を変えることからはじめましょう。

1、悩んでいる人は幸せ。

弟子たち、および一緒にいた群衆はまずイエス様の第一声に驚いたことでしょう。「心の貧しい者は幸いです」と言われたのですから。その次に「悲しむ者は幸いです」と続きます。「えーっ。どうしてですか。貧しくて、悲しんでたら不幸に決まってるじゃないですか。どうしてそれが幸せだと言えるんですか?」と聞きたかったのではないでしょうか。イエス様はここで、神に愛され、創造された人間が神から見てどれほど価値がある存在か、まず自分を見る目を変えるように迫られます。一言で言うなら、「あなたは神に知られているよ。覚えられてるよ」ということです。

私たちも悩みのなかで自分の弱さを覚えます。悲しいときもあります。上手くいかないことが色々起こります。そのようなとき、「誰も私のことを分かってくれない」と余計に孤独を感じることもあります。

でも「神様は知ってくださるよ。そのあなたの存在に価値があると認めてくださっているよ」と声をかけてくださるのです。

2、信仰の苦しみは喜び。

次にイエス様が教えられたのは、イエス様の弟子であることによって受ける苦しみについて教えられます。キリストに従うということは、楽な道ではありません。人から誤解され、批判され、拒絶されるかもしれないということです。でもそのようなときは、「喜びなさい、大いに喜びなさい」と主は言われました。

今でも世界中で、多くのキリスト者が困難を抱えています。迫害を受けています。でもそのような人たちの天国での報いはとてつもなく大きいのだと、約束されているのです。

私たちの信仰者としてのアイデンティティはいかがでしょうか。天での大きな報いを期待しましょう。

3、使命がある喜び。

イエスはさらに、キリストの弟子たちは「地の塩」「世の光」だと言われました。塩は防腐効果があります。キリスト者の存在はこの世界は罪に満ちているのだけれど、最後まで腐らないように、支える存在です。そして何が大切で、何を見るべきなのかを光となって照らし出す存在です。光の究極的な目的は「あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい」という言葉に表されます。神につながる者は神とともに歩み、神の栄光をあらわすために生きていきます。何気ない日常生活のなかで、周りの人たちに神さまがおられること、信じる者を生かしてくださること、恵みを与えてくださることを表していきましょう。特別なことは必要ありません。神に生かされていることを日々感謝し、聖霊に満たされ、神とともにこの一週間も力強く歩んでいきましょう。

あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。ヨハネ15:16

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