その217 キリストに倣う

21.04.11

ピリピ人への手紙2章1-11節

 私たちは自分中心に物事を考えると、とんでもない間違いを犯してしまうことがあります。神は人間の弱点をご存知で、どんな問題が人間の幸福の芽と摘み取るのかも警告しています。

 その一つが人間関係の問題です。人間関係の問題は、自分の思うように人を動かしたいという気持ちから始まります。しかし聖書は人を変えるのではなく、まず自分を変えるように勧めています。

キリストに倣うために自分を変えよう!!!

 パウロは教会に一致がなければ、どうして外からの攻撃に立ち向えるだろうかと説き、内部の一致はクリスチャン同士の人間関係にかかっていること、そしてそれは、相手を変えようとする努力ではなく、自分を変え続ける努力によって解決されるべきだと教えています。

ローマ12:2 心の一新によって自分を変えなさい。

1、誠実に生きる。

 裏表なく、自分のなすべきことを忠実になし、誰に対しても公平にすると、良い人間関係を建て上げることができます。つまり誠実な生き方が求められています。誠実な人はことばと行動が一致し、誰と一緒にいても変わることがありません。裏表(二枚舌)がなく見掛け倒し(偽善)もありません。

 イエス・キリストには裏表がありませんでした。誰に対してもやさしく、しかし罪には厳しくのぞみました。人を分け隔てせず、権力にこびず、女性や子どもも大切にしました。生涯において、誠実に生きられました。その生き方には自己中心や虚栄心は全くみられませんでした。

 ビジネスの世界、教育の世界、家族、友人の間でも、誠実さこそが良い人間関係を獲得する鍵です。正直を美徳とし、嘘やごまかしのない生き方をしましょう。

 キリストに倣うものとして、自己中心や虚栄を捨てて、誠実に生きましょう。

2、謙遜を身につけよう。

 謙遜とは「どうせ自分はダメだ」と自分を卑下することではありません。本当の謙遜は自分を信じ、健全な自尊心を持つことから始まります。プライドとコンプレックスは裏返しで、その根本には、自分を信じることができない恐れがあります。自分を見つめ、鍛錬し、自分を制することができるようになりましょう。そのことによって、自分を信じることができ、健全な自尊心が生まれます。自己卑下ではなく、人の痛みを知る謙遜が身につき、人を自分よりもすぐれた者と思うことができるようになります。

 キリストは自分の生きる使命を知り、その方向にぶれることなく歩まれました。荒野の誘惑の際にも、ご自身の目的のために自分を制することができました。そして神に従い、十字架の道を歩まれました。神の御子の究極の謙遜の姿です。

 キリストに倣う者となり、自分を変え続ける旅を進んでいきましょう。

何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。ピリピ2:3

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