2019.03.03
モーセの生涯⑩
出エジプト記 18章1-27節
この18章には、戦いのシーンも出てきませんし、何か大きな事件があったというようなことも書かれていません。しかし、モーセのしゅうとのイテロの助言が、旅を続けるこの後のモーセやイスラエルの人々に、とても大きな影響を与えました。この物語は、教会にとっても大切な原則のようなものが描かれています。
1、 教会にはリーダーを助けるリーダーが必要である
モーセは当初全てのことを一人でやっていました。それは明らかにオーバーワークで、モーセの能力、体力をはるかに超える仕事でした。イテロはそんな彼を見て、このままではモーセだけではなく、このイスラエルの民全体にとっても悪いことになると思いました。イテロは、イスラエルの民たちの中にも、立派に善悪の判断ができるリーダーたちがいるではないかとアドヴァイスしたのでした。
実は初代教会にも同じような問題が起こりました。使徒の働きの6章には、教会が成長していくなかで、様々な問題が起こるようになったと書かれています。12人の使徒と呼ばれたリーダーたちは、メンバーの中から適当な人を選んで、これらの問題処理に当たらせることにしました。教会はまさに、教職者とともに重荷をになう人たちが必要なのです。聖書は明確に、一人の人間ができることは限られていて、私たちが一人で何でもするよりもむしろ、お互いに足りないところを補い合って、助け合って、キリストのみからだである教会を皆で建てあげあうことの大切さを教えています。どうかこれからの信仰生活の目標として、牧師とともに重荷をになう信仰者となることを目指してください。
2、謙遜は無限の祝福をもたらす。
私たちはここでモーセという人がどれほど謙遜な人であったか、そしてその謙遜さが、モーセの人生と、イスラエルの民全体にどれほど大きな祝福をもたらしたかを見ることができます。モーセはイテロの忠告を聞いて「あなたは私たちと何の関係があるんですか。あなたはしょせんミデアン人、私たちはイスラエル人です。これは私たちのやり方なのだからほっておいてください」とか「あなたは確かに、私の義理の父です。しかし失礼ですが、私は神様ご自身から選ばれ、この民のために立てられているリーダーなのです。私が一番偉いのです。私は神様以外の人間の言葉を聴いて、それに従うわけにはいきません」などと返事をしていたらどうなったでしょうか。やがてモーセは精神的ストレスでまいってしまい、健康を壊し、民全体にも様々な社会的混乱が起こり、大変なことになっていたに違いありません。しかしモーセは喜んで人の忠告を聴き、それを実践する素直さ、謙虚さを持っていたのです。そしてそれがモーセの生活とイスラエル全体に大きな祝福をもたらしました。
私たちもこのモーセを見本とし、謙遜というものがどれほど尊い品性であるかを悟らなくてはなりません。謙遜になって人の話を聴くということが、どれほど大きな神様の祝福をもたらし、また自分だけでなく、周りの人たちにも良い影響を与えることができるかを実感しましょう。日々神様に祈り、「主よ、私を砕いて、謙遜になって、色々な人に仕える人になることができるようにしてください」と、求めていくクリスチャンになろうではありませんか。
人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。
箴言 18:12