その271 人を用いて救う神

2025.05.11

士師記2:7-16

ヨシュア記がはなばなしい勝利の歴史であるのに対して、士師記はイスラエルに対する他民族による圧迫の歴史であり、秩序がなく、そして信仰のない時代が描かれています。しかしヨシュアの時代から、後のダビデの時代をつなぐこの時代を知ることは、非常に大きな意味がありますし、私たちが求めているリバイバルというキーワードにとっても、大きな教えをなしている書ということができます。

1、神様は救う神

これがこの士師記の重要なポイントです。ヨシュアの次の世代がどのような人々であったのか明らかです。彼らはあっさりと父祖の神を捨てて、地元にあった土着の神々を拝むようになってしまいました。特に悪い点は、これらの宗教には単なる信仰心だけではなく、道徳の堕落、倫理観の喪失ということも含まれていたわけです。

当然のことながらこれは、申命記に明記されている神様に対する重大な契約違反で裏切りです。ですから、彼らは苦しみを受けます。他の民族に強い圧迫を受けることになるのです。

しかしこの士師記が教えたいことは、そのような状況、裁かれて当然、滅ぼされても当然の状態にあったとしても、神様は決して彼らを見捨てることはなかったという事実なのです。

2:16 そのとき、【主】はさばきつかさを起こして、彼らを略奪する者の手から救われた。

ここでさばきつかさと訳されている言葉が「士師」です。神様は愛する者を見捨てることなく、必ず助け手を与えられる。それがこの士師記の主題です。私たちの信じる神は、私達が何度失敗しても悔改めて神のもとに戻るなら、救ってくださる神であることを信じましょう。

2、神様は人を用いてご自身の働きをなされる

モーセの時代以来、神様ご自身が単独で、何か御業を起こして、人を救われるという記述はどこにもありません。必ず神様は人を選び、その人物を通して、ご自身の御業を起こされたということです。この士師記が教えている大きなポイントはここです。神様ご自身が人を選ぶ、そしてその人を動かして、人を救われるということです。これから士師たちを個別に見ていきますが、彼らは決して強くなく、賢くもなく、人の目には価値のない人たちでした。しかし神はあえてそのような人たちを選び、大きなことをされたのです。

特に私たちペンテコステの群れにとって重要なことは、この書で強調されているのは、主の霊によって人が立てられ、動かされるということです。エフタとか、サムソンという士師が登場しますが、彼らは神の霊によって奮い立たされ、イスラエルの救いのために用いられたのでした。

この世界を救うために、私たちの周りにいる困った人、絶望している人を救うために、神様は今も働いておられます。そのために、神様は私たち一人ひとりを選び、聖霊によって力づけようとされます。この主のお役にたつために、聖霊に満たされることを求めてまいりましょう。

あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。 ヨハネ15:16

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