その97 「選び取る」

2016.03.20

ルカの福音書23章13-24節

 「使徒信条」には3人の名前が記されていますが、そのうちの一人はユダヤの総督としてローマ帝国に任命されていたポンテオ・ピラトです。言うまでもなく、イエス・キリストが十字架で処刑されることに際して、最終的な権限を持っていた人です。彼の名がこの信仰告白に記されている訳、そして彼の姿が私たちに教えていることは何でしょうか?

1、キリストの十字架は歴史的な事実。

「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け・・・」 使徒信条

 ローマの歴史にも明確に記録されているピラトの存在はキリスト・イエスの十字架が歴史的な事実であることを証明しています。イエス・キリストが十字架で死なれたという事実は、誰も疑うことのできない歴史的事実として証明されているのです。このことは、全地を創り、支配しておられる神が、人間を救うために、歴史に介入してくださったことを表しています。この朝私たちは、この歴史の中にご自身を表され、私たちに救いの道を切り開いてくださった主を褒め称えましょう。

2、人間の自己保身の姿 = 罪 

 ピラトはイエス様が十字架に架けられなければならないような理由を全く見出せませんでした。にも関わらず、彼は最終的にイエス様を十字架刑に処することを許可せざるを得なかったのです。何故でしょうか。それは自己保身、恐れに負けて、自分を守ろうとしたからです。自分の立場、評判、印象、そんなものを守ろうとして、大切な判断ができない、決断できない、そんな落し穴が人生にはあるのだと聖書は警告しています。そして「仕方なかったのだ。他の人が悪いのだ」と自分は間違っていないと正当化しようとします。それが人間の罪です。そのためにキリストが身代わりとなって十字架に架ってくださったことを覚え、感謝しましょう。

3、信仰(イエス・キリスト)を選び取る

間は皆、ピラトになる可能性を持っています。いや、ピラトを心に抱えているのです。周りの目を恐れて、自分を守ろうとする。自分さえ良ければいいと思う。そして弱い自分を誤魔化して、自分を正当化して強がって生きようとする。そんなずるい、汚い本質を、どんな人も持っているのです。そしてそのような自分に、「お前はどっちをとるのだ。良いものを選び取れ」と十字架は語りかけ、選択を迫っています。

 キリストが血を流すほどにあなたを愛された、その愛が満ちている十字架こそが、あなたに本当の命と勝利を約束するものです。

 ピラトにはそれが分からなかった。いや分かっていたのだけれども、結局は人を恐れて、真理よりも自分を愛して、大切な判断を誤ってしまいました。それは人間の本質的な弱さなのかもしれません。しかしその弱さを認めて、「神様。ごめんなさい」という時に、人間は本当の意味で、自由になることができるのです。

 自分のなかに、ピラトの姿を見、そしてなお、私たちには妥協できないものがあること、永遠の命という何にも変えがたい、守るべきものがあることを覚えましょう。

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。1コリ1:18

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