その112 「選びの謎」

2016.07.17

創世記48章1-21節

高齢となり病を患う父ヤコブを見舞うため、ヨセフは2人の息子を連れて訪ねます。そこでヤコブは、子どもたちのために祝福の祈りを捧げます。彼の生涯の終わりをみながら、信仰者の歩みを学んでまいりましょう。

1、なぜ選ばれたのか分からない。

 ヨセフはヤコブが祈りやすいように、長子のマナセを彼の右手側に立たせ、次男のエフライムを左手側に立たせました。右手のほうに力があり、マナセに右の手を置いて祈って欲しいと考えたからです。しかしヤコブはわざわざ手を交差させて、右手をエフライムの上に、左手をマナセの上に置いて祈りました。これは決して彼の好みとか希望ではなく、霊によって悟らされたことなのでしょうが、私たちには不思議に思えます。考えてみれば、ヤコブ自身が何故神に祝福される者として選ばれたのか、人間の基準で考えても分かりません。それはただ「神の選び」であったとしか言いようのないものなのです。

 私たちも同じです。自分の資質や行いをもって、「だから神様は私を救ってくださったのですよね」と言えるものは全くありません。「選びの謎」としか言いようのないものなのです。だからこそ私たちは謙遜になることができ、感謝することができるのです。

2、結果をいつ見られるのか分からない。

 神様から「あなたの子孫は地のちりのように多くなり…祝福される(創28:14)」と約束されたヤコブですが、この死の間際の時点で彼の一族は70人ほどでした。イスラエルが国として存在するようになるのは、これから何百年も後のことです。つまりヤコブが存命中には神様の約束すべてが実現することを見ることができなかったわけです。

 私たち人間が地上で生きる時間は短く、神様の約束やご計画がなされることを、すべて見極めることはできないでしょう。しかし信仰とは「望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるもの」です。私たちの信仰には忍耐して希望を失わないという姿勢が求められるのです。

3、羊飼いなる神に従うしかない。

ヤコブはここで「きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神」と告白しています。紆余曲折の人生を振り返りながら、「自分の人生を導いてくださったのは神様だ」と宣言ことができたのです。

私たちの人生には、分からない事、見ることができないものがたくさんあります。焦ったり、不安になったりすることもあるでしょう。しかしその中で、選んで声をかけてくださった神を信じて、毎日その声を聴いて、一歩一歩したがってゆく、ということが必要となります。それが最も安全で確実な人生なのです。生涯の最後まで、良き羊飼いである主を信じて、従ってまいりましょう。

わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。 ヨハネ10:11

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