その128 神が味方なら

2017.02.12

創世記41章1-44節

釈放された囚人仲間の夢を解き明かしたヨセフですが、その後2年間忘れられてしまい、牢獄で暮らすことになりました。しかしエジプト王の見た夢をきっかけに、牢から出ることができたばかりか、総理大臣の地位を与えられました。

1、神は忘れない。

兄弟たちに売られ、ポティファルの妻に偽証され、無実の罪で牢屋に入ることになったヨセフは、さらに助けた人からも忘れられるという体験をしました。彼は牢屋のなかで、自分は誰からも忘れられた存在だと感じたかもしれません。もしかしたら神様からさえも、忘れられのかもしれないと思うこともあったでしょう。しかし神様はヨセフを決して忘れてはいなかったのです。神様はヨセフを最も効果的な、一番良いタイミングでエジプト王に出会わせ、家族を救うという道を開かせたのでした。

 私たちも困難なとき、苦しみのときに、孤独を感じ、自分が誰からも忘れられているような気がしたり、神様でさえも、遠く離れて、自分のことを見てくれていないような気がしたりすることもあるかもしれません。でも、神様は決して私たちを忘れるようなことはなさらないのです。いつも私たちから離れず、味方となってくださっています。

2、神は知恵深い。

パロは自分の見た夢を解き明かすことのできる人を求め、国中から「すべての知恵ある者たちを呼び寄せ」ました。しかし誰一人として、それができる人はいなかったのです(8節)。人間の知恵では解決できないこと、限界があることが分かります。それに対して呼び出されたヨセフは「私ではありません。神が…知らせてくださるのです」(16節)と、自分ではなく、神様がなさると宣言しました。人間の知恵には限りがあり、本当の意味で救いとはなりませんが、神様の知恵は無限です。

箴 9:10 【主】を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。 私たちは近視眼的で、目先のことに一喜一憂し、将来を見通すことができません。しかし神様を味方とするならば、神様の知恵によって生きることができます。鍵は「私ではありません。神です」と言ったヨセフの謙遜さです。

3、神様が実現する。

結局のところ、長く沈黙されているようにみえた神様のご計画が突如としてヨセフの人生に表され、完成されていきました。このヨセフの生涯は間違いなく、神様を信じていれば最初から最後まで何の苦しみもない人生が待っていますとは教えていません。そうではなく、神様とともに生きる人生には苦しみにさえも意味がある、一時的に不愉快な、困難な時を通らされたとしても、すべてのことが後の良いことのために準備されているということを知るのです。私たちの中にも過去に困難なところを通った方がおられると思いますし、今通らされている方もいるかもしれませんし、また将来、どんな困難が待っているかも分かりません。しかし忘れてはならないのは、神様の時がある。神様の計画がある。苦しみさえも何かの意味があるということです。このことを覚えていきましょう。

神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。

ローマ8:31

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