その225 素敵な人生の終わり方

モーセの生涯23

申命記34章1-12節

モーセの120年の生涯が終ろうとしています。神様はモーセに、ピスガの頂から約束の地を全部見せられました。本来ならばモーセ自身が民を引き連れて入るべき土地でした。しかしここからモーセはただそれを見るだけで、足を踏み入れることはできなかったわけです。彼がどんな思いで、その景色を見ていたのか、想像するだけで胸が痛みます。しかし、よくみると、神様がモーセをどれほど愛しておられたのか、神様にとって彼がどれほど特別な存在であったかということが分かります。

1、神に定められた使命がある。

モーセは120歳でしたが「彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった」と書かれています。彼は元気だったわけです。しかし彼の使命はここで終わりました。モーセは神様からいただいた使命を全うし、地上の生涯を終えたのです。彼自身の健康や気力、状態は別にして、神が定めた使命があったわけです。

私たちも同じです。誰一人として、神様に無駄に見出され、生かされている人はいません。皆何らかの使命を神様からいただいてこの世に今遣わされているのです。神様はすべての人が、その使命を明確に知り、その使命に焦点を当てた人生を送るようにと望んでおられます。モーセのように、その生涯の終わりに至るまで、しっかりと神様のために生き、使命を全うする信仰生活を送る者となりましょう。

2、神は最後まで一緒におられる。

神は呼ぶ声に応えることを躊躇するモーセに「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。」と約束されました。以来、神は忠実にその約束を守られ、モーセがどんな苦境の中にあるときにも、イスラエルがどんなに神様を怒らせても、決してモーセから離れることはありませんでした。最後の最後まで神がともにおられ、神様の懐で眠るように、この地上での戦いを終えることができたのです。

 私たちにとっても、最大の幸いとは、この地上で大きなことを成し遂げるということではなく、神様が最後まで、息を引き取るその瞬間まで、一緒にいてくださるということではないでしょうか。主と共に全うされる人生を送りましょう。

3、神が完成させる。

私たちがこのモーセの生涯から教えられることは、私たち人間がすべてを完成させなくてもよいということです。神様がなされます。モーセは確かに民を約束の地へと連れていくことはできませんでしたが、神様はご自身の計画を完成させました。モーセはヨシュアという後継者を作り上げ、安心して託すことができました。聖書の歴史、教会の歴史は次の世代、次の世代へとバトンを託していく歴史です。主役・主体は人間ではなく神様なのです。

一度しかない人生を神様からいただいた使命に生き、地上での命の尽きるまで神様と共に生き、次の世代へとバトンを託して、素敵な人生の締めくくりとしましょう。

私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。                 2テモテ4:7-8

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