その226 鏡としてのヨナ

2021.10.03

ヨナのような生き方④

ヨナ4章                       

神がニネベに裁きをくだされないことを知ったヨナは不機嫌になり、神に怒りを燃やします。神はヨナのためにとうごまの木をはえさせ、ヨナは喜びます。しかしそのとうごまの木が枯れるとヨナはまた神に向かって怒りだしました。神はヨナに、とうごまを通して、神がニネベの人々をどれほど価値があると考えておられるかを教えられました。

ヨナの姿は私たちにとっての鏡です。ヨナの言葉と態度を笑うことはできません。実は自分が同じことをしているかもしれないのです。自分の信仰が、神の前にどのように映っているかを教えてくれるのが聖書です。私たちはそのことに気づき、自らの姿勢を正さなくてはなりません。

どんなチェック項目があるのかみていきましょう。

1、日常生活に喜びがあるか。

ヨナは海のなかでは大きな魚に助けられ、この章ではとおごまの木に助けられます。すべては神から来る助けと護りでした。しかしその存在がなくなると、ヨナはとたんに不機嫌になり、神に対して怒りはじめます。

私たちも、日常生活のなかで神からの助けと護りに気づかないことがあります。気づかなくて神様に感謝しないだけでなく、ちょっとしたことに不平不満を持ち、神様に文句を言ってしまいます。日常生活の何気ないことに喜びを感じ、神に感謝することが信仰者の幸せです。

2、隣人を愛しているか。

ヨナにとってニネベの人々は自分の国を圧迫する敵でした。だから「滅ぼされて欲しい」と思っていたのです。宣教師として遣わされながら、本音のところでは神に逆らい、神を知らないままでいて欲しかったのです。しかしヨナが語った言葉を通して、人々は悔い改めます。 その姿を見て、神は彼らに下そうと思っておられた裁きを思いなおされました。そのことがヨナには許せませんでした。このヨナの姿は神の御心を無視し、自分の思い通りに神を動かそうとする人間の罪を表します。

キリストは「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と言われました。この言葉を知らない人はいないと思いますが、どれほどの人がこの言葉を実践しているでしょうか。私たちはたとえ自分が敵だと思えるような人をも、神様は愛しておられるということを忘れてはなりません。

3、世界宣教に重荷があるか。

ヨナ書が教えているのは、世界のすべての人を愛し、救いたいと願われている神の姿です。そしてそのために、不完全な人間を選び、遣わし、用いようとされます。ヨナのように拒否し、避けることもできるでしょう。しかし私たちは、神様の大きな愛に応え、「私を用いてください」と従うようにと、声をかけられています。一人でも多くの人が神の愛に気づき、苦しみから解放されるように、世界宣教のために祈りましょう。私たち一人ひとりが、何が出来るかを教えていただきましょう。

神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。1テモテ2:4

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