その126 滅びることのないもの

2017.01.29

イエスのたとえ28

マタイの福音書24章32-36節

キリストは度々世の終わりについて教えられました。私たちが「再臨・終末」と呼ぶ、キリスト教信仰の大切な一部です。このたとえはそのことについて教えています。

1、時代を見分ける目を持つ。

イエス・キリストは目に見えない霊的なことだけを教えたのではなく、目に見える世界を霊的な目で見るように教えられました。神が創られたこの世界はある方向に向かって進んでいるというのです。そしてそのことが分かるように、あらかじめどのようなしるしが現れるのかを教えておられます。「にせキリスト」があらわれ、戦争と戦争のうわさが広まり、ききんと地震が起こると言われます。そしてクリスチャンに対する迫害が起こり、人々は互いに憎み合うようになり、不法がはびこり、愛が冷たくなると教えられました。

この教えは、私たちが日々の生活のなかで色々なことに心を奪われながらも、何を頼りに生きているのかを自覚するように促しています。この世界は移ろいやすく、決していつまでも変わらないものではありません。そして残念ながら全ての人にとって、どんどん厳しい状況になっていくのです。そのことを思いながら今がどのような時代かを見る目を持つようにと教えられています。

2、神が完成する。

この世界を創られた神は、いつかこの世界を完成されます。今この世界は罪によって神様との絆が失われています。これが私たち人間の苦しみの原因であり、世界全体の苦しみの原因でもあります。このままでは、盗みや殺人がこの世界から消えることはありませんし、真の平和を見ることもありません。しかし神の創造物がこのまま終わるはずがありません。神は御子キリストをこの地に送り、十字架の上で全ての罪の身代わりの罰を受けさせることによって、人を救おうと定められました。この救い主の死の意義と復活を信じる者には、神の霊をそのうちに住まわせ、罪の呪いから解放し、永遠に朽ちることのない命を与えようとされています。そして、やがてこの世界全体が救い出されるのです。そこから始まる新しい世界は、痛みのない、悲しみのない世界となります。

世の終わりは信仰者にとっては決して恐ろしいことではありません。むしろ待ち望むべきことです。キリストはその時がいつかは分からないのだから、それまでしっかりと信仰による神との絆を持ち続けるようにと励ましておられます。

3.キリストの言葉を信頼する。

この世界には永遠に存在するものはありません。いつかは滅び、消滅してしまうものばかりです。私たちはそのようなものを頼りに生きたり、永遠に続く死後の命を託したりすることはできません。しかし滅びることがないものがあるとキリストは宣言されました。それがキリストの言葉です。私たちは彼のことばによって信仰が与えられ、祈りを通して告白し、自分の中に聖霊を迎え入れ、永遠の命が約束されています。これからもキリストの言葉、聖書の言葉を握りしめていきましょう。どんなに時代が暗くなり、希望が見えなくなったとしても、キリストの言葉は不滅です。このお方を信じ、厳しい時代をくぐり抜けていきましょう。

この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。         

マタイ24:35

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