その168 私は信じる④

2018.06.03

私は信じる④ 

使徒の働き1章9-11節

「主は・・・三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて、生ける者と死にたる者とを審きたまわん。」

1、キリストの復活は私たちに勝利を約束している。

勝利というと、私たちは何を思い浮かべるでしょうか。試合に勝つ。受験に勝つ。出世競争に勝つ。人それぞれ、色々な人生の勝利があることでしょう。しかし聖書が言っている勝利とは、ずばり、罪とその結果である死に対する勝利です。

最初の人アダムの不従順によって、罪というものが人類に入り込みました。その罪と死に対して、神様は御子イエス・キリストを通して、私たちに勝利を与えてくださったのです。

聖書は明確に、イエス・キリストが死の力を打ち破って、よみがえったのは、ご自身だけではなく、彼を信じる者すべてが、よみがえりの命を持つためであると証言しています。キリストを信じる者は、かならず永遠の命を持つのです。

2、キリストは私たちのためにとりなしておられる。

聖書によると、イエス・キリストは復活された後40日間弟子たちと過ごされ、数々のことを教え、多くの人の見ている前で天に昇られました。

では、今イエス様は神様の右の席で何をされているのでしょうか。それがとりなしです。人間の側に立ってくださり、義なる神様に対して、人間の赦しを願い、人間のために祈り、人間を愛を持って見てくださっている、それがイエス・キリストです。

この人生を、私たちをいつも見てくださり、心配してくださり、守ってくださるイエス様と一緒に歩んでいきましょう。

3、キリストは私たちに希望を与えた。

よみがえられ、天に昇られ、神の右の座に座っておられるイエス様は、やがて再び、この地に帰ってくださる。これを再臨と言います。キリスト教の歴史観、世界観はまさに、始まりがあるのなら、終わりがある。始まりを作ったのが神様ならば、その終わりを定められるのも神様であるという信仰から成り立っています。またどうして世界に悪があるのか。理不尽なことが起こるのかという悩みに対して、例え今それが赦されているとしても、神様は必ず最後の最後に、清算してくださる。悪い者も良い者も、死んでしまった者も、生きている者も、皆裁きの座に立たされ、その行いに従って裁かれる時が来るというのが、教会の歴史観、世界観です。その裁きをなされる方がイエス・キリストです。

これが私たちの希望です。私たちの信仰が必ず報われるときがきます。イエス・キリストの復活と再臨は、ここにいるすべての人のためにあります。彼を信じるなら、素晴らしい人生が待っています。

けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。ピリピ3:20

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