その250 敵か味方か

2023.11.27

ヨシュアの生涯⑫

ヨシュア 10章1-15節

ギブオンたちがイスラエルと盟約を結んだことを聞いたほかの南カナンの諸王たちは、ますますイスラエルを恐れると同時に、ギブオンに対しても憎しみを持つようになります。彼らはギブオンを敵とみなし、攻撃を始めます。これに対してギブオンは直ちにイスラエルに助けを求めます。この知らせを受けたヨシュアとイスラエルたちは、躊躇することなく、ギブオンを助けに行き、敵を散々に打ち破りました。

1、私たちを敵と見る存在がある。

ギブオンの民たちは、イスラエルの神こそが真の神であることを悟り、恐れ、敵対することはできないと判断し、イスラエルの奴隷となってでも自分たちの命を助けることを選び取りました。その後ギブオンはバビロン捕囚後の神殿再建にも関るような、祝福を受けることとなったのでした。しかしこのことは地元の王たちの反感を買いました。イスラエルと盟約を結ぶものは、彼らの敵だと認識され、攻撃されるはめになったのです。

私たちクリスチャンもこれと全く同じだということです。まことの神を知るまでは、悪魔は私たちを何とも思いません。却って仲間だと思っています。来るべき日には、一緒に神の裁きを受け、滅びることになる仲間だと思っているのです。ところが、私たちがイエス・キリストに出会い、彼を救い主として信じる決心をした瞬間から、私たち一人ひとりは聖霊の宮となり、神の子となりました。闇から光に移された、神の側の人間となったのです。さあ悪魔は私たちをどう見るでしょうか。この瞬間から私たちは悪魔の仲間ではなく、明確な敵です。中間はありません。敵か味方しかないのですから、悪魔にとっては、クリスチャンは明確な敵なのです。そして、あのギブオンが攻撃されたように、クリスチャンは攻撃を受けるのです。私たちはこのことを知り、備えなければならないのです。私たちの信仰を奪い、滅ぼそうとしている敵がいるということを覚えましょう。

2、私たちには敵よりも強い味方がいる。

ギブオンの民たちは敵から攻撃されても一人ではありませんでした。彼らが攻めてくる敵に対して、戦ったというようなことは全く書かれていません。唯一彼らがしたことは、イスラエルに向かって助けを求めたということです。そしてヨシュアたちは直ちに軍を率いて助けに向かい、敵を散々打ちのめしたということです。

私たちには確かに、私たちを憎み、滅ぼそうとする敵がいますが、同時に敵よりも強い味方がいるのです。ヤコブの手紙4章7節にこのように書かれています。「悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」ここで、悪魔と戦いなさいと書かれていないことに注意してください。私たちが戦うのではなく、主が戦われるのです。私たちは主に助けを求めれば良いのです。そうすれば主みずからが、勝利を取られるのです。

私たちには強い味方がいてくださることを覚えましょう。敵の攻撃を恐れないで、立ち向かっていきましょう。そうすれば、主が、必ず勝利を取られ、私たちをも圧倒的な勝利者としてくださいます。今週も、主にあって力強く歩んでいきましょう。

私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。ローマ8:37

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