2025.10.12
使徒の働き5:17-21a
うまれたばかりの教会では、多くのしるしと不思議が行われ、主を信じる者がますます増えていました。同時に、多くの人々から反対され、憎まれることとなりました。ここではサドカイ派の人たちが、使徒たちをとらえ、留置場に入れてしまいます。しかし夜、主の使いがあらわれ、彼らを牢屋から解放し使命を与えるのです。「人々にこのいのちのことばをすべて語りなさい」。彼らは夜明けに神殿に入り、また語りはじめました。
1、いのちのことばには力がある。
使徒たちがねたみをかい、投獄された理由は、まさしくこのいのちのことばを語っていたからに他なりません。いのちのことば、福音を語っていなかったら、こんな目には会わなかった。しかし主はみ使いを通して、彼らを牢から解放し、その元々の原因、迫害の根本的な原因であった、福音、いのちのことばをもう一度、ことごとく語りなさいと言われるのです。
彼らがいのちがけで、託されたいのちのことばが、エルサレムから見たら、東の果てに生きる私たちに、届けられていることを感謝しましょう。人を生かし、解放し、癒し、光をあたえ、世界のどんな人にも希望を与え、作り変えるいのちのことばが、この国でも伝えられていることを感謝しましょう。いのちのことばの持つ力を信じましょう。
2、いのちのことばは語られなければならない。
使徒の働き10章に、このような話が書かれています。カイサリアにコルネリウスというローマの隊長がいました。この人がある日み使いの幻を見るのです。その天使が言うには、「ヤッファにペテロという人がいます。その人を招きなさい」と。ペテロを呼んで、話を聞きなさい。この福音、いのちのことばを語るのは天使ではなく、人間だけに許された特権なのです。
人間にしか語ることがゆるされていないいのちのことば、福音。どうして黙っていることができるでしょうか。
誰がこのいのちのことばを語ることを許されているのでしょうか。それは私たちです。牧師だけではありません。宣教師だけではありません。信じて救われた者すべてが、この福音を語る特権を与えられ、使命を与えられているのです。
3、いのちのことばには困難がともなう。
聖書が描く教会の姿から分かることは、いのちのことばには、つまずき、妨害、困難が避けられないということです。それは決して教会の外からの迫害だけとは限りません。教会のなかにも問題が起こります。5章では教会内のきよめの問題、6章ではヘブル語を話す会員とギリシャ語を話す会員の間に問題が起こります。聖霊が働くところには、悪霊も働くのです。
私たちめぐみ教会も、1978年のゼロからの再開拓以来、さまざまな戦いを乗り越えて、50年近く歩んできました。これからも戦いは続くことでしょう。しかし希望があります。この教会の働きを通して、暗闇の人生に光が与えられる人がこれからも起こされます。皆さんの証を通して、真理に出会い、永遠のいのちを得られました、という人が起こされます。これからもいのちのことばを語り続けましょう。
みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。2テモテ4:2