その147 主の祈り③

2017.09.17

マタイの福音書6章9-16節

「みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。」

私たちはこの祈りを通して…

1、神様の働きに参加する。

神様は私たちが祈ろうと、祈るまいと、ご自身の決めたことをなさることがおできになるし、またなさる神です。この天地を創造され、今にいたるまで維持し、動かされておられる神は、私たちの祈りとは関係なく、何でもすることができます。しかしここで、主イエス様は「みこころが天で行われるように、地でも行われるように」祈りなさいと教えられました。これは、私たちが神様を動かすのではなく、私たちは、神様がなさる働きに、祈りによって、祈りを通して、参加できるということです。神様は私たちと協力して、一緒になさりたい、神の願いを、自分の願いとしている人と、共同で働きたいと願っておられるのです。イエス様は「御心が地でもなされますように」と祈ることは、神様の御心を知って、それが実現するように願うときに、あなたたちは、神様と一緒に働き、神様のなさるわざに、参加することになるのですよと教えられたのです。

2、「神様の御心に従います」と告白している。

私たちは、祈り、願い、求めます。それは正しい態度です。と同時に、結果は神様に委ねるという信仰も持たなくてはなりません。私たちはどこまでいっても、自分ではなく、神様の御心がなるようにと願わなくてはならないのです。

ゲッセマネの園でイエス様は「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」と祈られました。この杯とは、十字架に架かって死ぬことです。しかしイエス様はその後で、「しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」と祈りました。

私たちは時に、自分の願いと、神様のご計画にずれがあることを感じることがあります。自分はこうしたい、こうなって欲しい、いや神様がこうしてくださらなければならない、と思って祈るのですが、神様は別の道、別のやり方を進めようとされている、それを感じることがあります。しかしこのイエス様のように、「しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」と、神様の御心に従おうと決断しなければならないのです。

3、神様は最善をなしてくださるということを信じる。

愛の神は最善の方法で、私たちに救いの道を用意されたのです。そして愛の神は、信じる私たち1人1人と、今も生きてくださり、ひとり1人に最善の道を備え、導いておられるのです。私たちは生きている中で、苦しみがあります。悲しみがあります。困難もあります。行き詰って、途方に暮れることもあります。しかし、私たちには主がおられるのです。すべてを良いものに変えてくださる神様がいるのです。

「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」この祈りには、どんなに目に見える状況が悪くても、最善をなしてくださる神様への信頼が告白されています。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。                  ローマ8:28

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