その72 「イエスの教会」

2015.07.05

マタイの福音書16:18

 教会は自然発生したのでもなければ、人間が自分たちの考えで教えを広めるために造り上げたのでもありません。キリストご自身の「私は私の教会を建てる」という宣言から生まれています。このイエスの教会の存在が私たち人間にとってどのような意味があるのか考えてみましょう。

1、教会にはイエスがいる。

 教会は主であるイエスが呼んでくださった人が集まるところです。そしてイエスは私たちが少なくとも2人以上で心を合わせて祈るところに、いてくださると約束してくださいました。目には見えませんが、教会にはそれを建てたイエス様がいます。私たちの祈りを聴いてくださり、それをかなえてくださるのです。これからもこの教会がイエスに呼ばれた人たちが集まり、イエスに出会う教会となるよう願っていきましょう。

2、教会には休息がある。

 私たち人間は生きている限り、何らかの重荷を背負っていかなければなりません。当然疲れます。私たちには自分の重荷を本当に理解してくれる人、苦しみ、悲しみを分かち合える友が必要なのです。私たちを愛し、創造してくださったイエスだけが本当の休息を与えてくれます。イエスの教会は私たちに休息を与えてくれるところです。これからもこの教会が多くの人に休息を与える場所となるよう願っていきましょう。

3、教会にはすべてがある。

 教会には真の休息だけではなく私たちに必要なものすべてがあります。誰も教えてはくれない、私たちがどのように生きるべきかという道があります。私たちが知らなくてはならない人生を幸せに生きる真理があり、また地上での人生の後に行くべき永遠のいのちを受け取る方法があります。これらはすべて、世界中の人が必要としているもの、探し求めているものです。教会だけがそれを持っているのです。 これからもこの教会が、すべての人が捜し求めている人生の答を伝えるところとなるよう願っていきましょう。

教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。エペソ1:23

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする