その106 「宴会に呼ばれたら…」

2016.05.29

イエスのたとえ24

マタイの福音書22章1-14節

 イエスがこのたとえを教えられたのは、十字架に架けられた金曜日の直前の火曜日と言われています。21章の農園を貸して旅に出かけた主人のたとえに続いて語られた話であり、祭司長や長老たちに向かって語られたたとえです。イエスが教える天の御国に入るために、私たちはどうしたら良いのでしょうか?

1、神の招待に応える。

 ここに登場する王とは父なる神であり、結婚する王子とは子なるキリストのことです。理由をつけて招待を拒否するのは、このたとえを話している律法学者や長老たちをはじめとするイスラエルの民たちです。そして大通りにいて宴会に招かれた人々とはユダヤ人以外のいわゆる異邦人と考えることができます。

 イエスは繰り返して、天の御国、すなわち神が人々を招こうとされているところは、宴会のようなところだと教えています。放蕩息子の話でも、父親が息子が帰ってきたのを喜び、宴会を設ける場面があります。ここには失われた人間が帰ってくる神様ご自身の喜びが表されています。そして私たち人間と、その喜びを分かち合いたいと願っておられる神様の愛があるのです。この神の呼びかけ、招きにただ応えるだけで、私たちは神と永遠に過ごすことができるのです。

 しかしこの招きに喜んで応えられない人がいます。「畑」や「商売」を理由にして招きを拒否してしまう人です。自分を人生の中心に置き、神に従うことを拒絶する傲慢が人間にはあります。イエスは「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」と教えられました。人生の優先順位を間違わなければ、神は必要なものをすべて与え、永遠の御国へと連れて行ってくださいます。この神の招きに応えるものとなりましょう。

2、キリストを信じる。

 通りにいて、突然の招きを受けた人々が続々と宴席にやってきました。神は何の区別もつけず、世界中のすべての人を招いておられます。ところがそこに礼服を着ないで座っている者がいました。当時は招いた側が礼服を配っていました。招待された人はただそれを着さえすれば良かったのです。しかし彼は意図的にそれを拒絶したのです。「礼服を着る」とは「キリストを着る」すなわちキリストを信じるということです。「主イエス・キリストを着なさい。ローマ13:14」。今私たちは、キリストを信じるだけで救われる時代に生きています。

 神の招きに応答し、キリストを信じる者が神の御国に入ることが許されます。神は条件を高くして、人間が入れないようにしているのではありません。むしろ、御子イエスを人として地上に送り、十字架で苦しませ、死なせ、葬らせ、人間の重荷を一切取り除いてくださっているのです。あとはただ、この無条件の神の愛を信じて受け取るだけです。神は喜んで、私たちが帰ってくるのを待っていてくださいます。キリストを着て、神のところに帰りましょう。

バプテスマを受けてキリストをその身に着く者とされたあなた方は皆、キリストをその身に着たのです。 ガラテヤ3:27

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