その175 人生のパラダイムシフト

2018.08.26

ヨハネの福音書3章1-15節

多くの人が幸せになることを願い、「仕事がうまくいけば」、「希望する学校に入れたら」、「結婚したら」、「お金がたくさん儲かったら」幸せになれる、と思い込んでいます。確かにそういうことが実現したら、一時的には幸福感を感じるかもしれませんが、それがずっと続くということはありません。また以前のように不満を感じ、不安を感じ、「もっと何か別のものを手に入れなければならない」と思い込んでしまいます。私たちは同じものを見ていても、違うものに見えるような、物の見方、考え方を変えない限り、本当の意味での幸福感を味わうことはできないのです。

1、人は生まれ変わることができる。

キリストがニコデモに教えたのは、「人は生まれ変わることができる」という新しいパラダイム(人生観・価値観)でした。聖書はすべての人間の苦しみの原因は造り主である神様から離れている、人間の罪であると教えています。本来は神様のもとで、神様とともに生きるために創造された人間が、神様から離れ、自分勝手に生きている。これが罪です。神様から離れると要するに神様のことが分からなくなり、かたくなな心で傲慢になって、何が本当に大切なのか見えなくなります。このニコデモのように地上の人生観、価値観でしか物事を見ることができなくなってしまうのです。

しかしイエス様はそのような人間の限界、苦しみを打ち破るためにこの世界に来てくださいました。人間がもう一度新しく生まれ変わることができるためです。罪を持ったアダムとエバの子孫は罪の世界に生まれて、罪の中で死ななければならなかったのですが、イエス様は人間がもう一度生まれ変わって、神様の世界に入ることができるようにしてくださったのです。「人間はどうせ年をとって死んでいくんだ」という人生観から、「人間は生まれ変わることができる」という人生観、視点に変わった時に、私たち人間は見るものすべてが変わります。

2、キリストを信じることによって。

ではイエス様はどのようにして私たち人間を生まれ変わらせてくださるのでしょうか。14節にそのヒントが書かれています。「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子(つまり私、イエス)も上げられなければなりません。」この意味は「罪の罰を受けて、苦しんで死ぬ以外にない人々がそれを仰ぎ見て助かるように、私も十字架に上げられるのだ」という預言です。死ぬことは人生の終わりなのではなく、永遠のスタートなのです。神様はイエス・キリストをこの世に送ることによって、あの十字架を仰ぎ見る人々が永遠の命を持つことができるようにしてくださったのです。同じ人生でも、自分に起る様々な出来事を永遠のいのちがあるという視点で見るのか、それとも人間は死んだら終わりだという視点で見るのか、見え方が大きく違ってくることでしょう。あなたは今永遠のために何を準備しているのでしょうか。

私たちが生まれ変わるために神様が何をしてくださったのか思い出しましょう。まだイエス様を信じていない方は、イエス・キリストを信じるならば、新しく生まれ変わることができることをどうか知ってください。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネ3:16

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