その149 主の祈り⑤

2017.10.15

マタイの福音書6章9-16節

「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」

私たちが人から何かされた悪いことを赦すことと、私たち自身が知っていて、あるいは知らないでしてしまう悪いことが、神様に赦されるということに、密接な関係があるのだと、この主の祈りは教えています。

赦すとは…

1、自分を自由にすること。

18章のたとえ話を通して、人を赦さないことは、牢屋に入って自分自身を縛り付けることになるのだとイエス・キリストは忠告しています。人にされた悪を何年も忘れることができず、恨みに思い、憎しみを持ち、生き続けることが、人間にはできます。しかしそれは自分自身を苦しめ続けることにもなるのです。

自分を傷つけた人を赦して、その牢屋から出ていきましょう。そうしない限り、私たちは一生自由になることはできません。赦すということがどんなに大きな解放をもたらすかを、体験するものとなりましょう。

2、恵みを受け取ること。

幸福は自然に来るものではなく、自分から選び取るものです。人生は選択の連続です。しかし悪魔はまるで私たちには選択の余地がないように騙すのです。私たちは聖書に基づいて、恵み、つまり赦すことを選び取らなければなりません。赦すということは、相手を見ることをやめて、神様のほうに視線を向けることです。神様を見て、神様がどんなに大きな、恵み深い方なのか考えて、神様からの恵みを受け取ることを信じましょう。

赦しには、私たちが恵みを受け取る鍵があります。選択は私たちの手の中にあります。恵みを選び取りましょう。

3、勝利すること。

赦すことは敗北ではありません。勝利することです。イエス・キリストは勝利するためにこの世に来られました。悪魔の仕業を打ち壊し、罪に定められた人間を解放し、神との交わりを回復させ、永遠の命の希望を与えてくださいました。ではイエス・キリストの勝利はどこで決定したのでしょうか。十字架の上のこの言葉で決定されたのです。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。ルカ23:36」人間関係という最も難しい問題、悪魔が背後で働き、互いに不信感を持ち、互いに憎み合い、互いに傷つけあい、互いに殺しあう、そしてそのような負の連鎖が国同士の間にまで構築されていく、そのような悲惨で絶望的な世界を、どのようにひっくり返して、勝利していくかという最も偉大な答を表しているのです。

私たちは、日常生活の中で、何を武器にしているでしょうか。知識で勝とうとしているのでしょうか。お金で勝とうとしているのでしょうか。力で勝とうとしているのでしょうか。十字架の赦しによって、勝利を得る者となりましょう。

しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。    ローマ8:37

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