その178 神の愛

2018.09.30

ヨハネの手紙I 4章7-12節

1、神とはどういうお方か。

神様は愛を持っていると書いているのではなく、神様は愛そのものなのだというのです。愛こそ神様のご性質を表すのに最もふさわしい言葉です。

①私たちは神の愛によってデザインされた。

もし神がおられないのだとしたら、私たちは皆偶然に生まれてきた、偶然の産物です。偶然でスタートした人生に、何か立派なゴールなどが存在するでしょうか。私たちは神によって、そして神のために造られました。このことが理解できるまで、人生は決して意味を持ちません。

②人間は愛を必要としている。

私たちは神の愛によって生まれて来たので、生まれながらにして、愛を必要として生きています。実は人を本当の意味で生かすのは、食べ物や着るものだけではなくて、愛なのです。愛には人を生かす不思議な力があるのです。

2、愛とは何か。

神様が御子イエス・キリストをこの地に送ってくださった。それは私たち人間が、罪という神様の愛から離れ、神様の愛を失って生きていく苦しみから救うために、十字架で身代わりの罰を受けさせることによって、信じる者すべてに永遠の命を与えようとされた。これが神様が示してくださった究極の愛であり、ここに神の愛があるのだと、聖書は教えています。教会にあるこの十字架は、単なる飾り物ではなくて、御子イエス・キリストを苦しみの中で、死なせてでも、人間たちを救いたい、守りたいという神様の愛の象徴なのです。

①愛とは行動すること。

神様はただ漠然と、心の中だけで、私たちを愛しているわけではありません。御子イエス様をこの地に送り、私たちの罪の身代わりとなって十字架に付けるほど私たち人間を愛された。具体的に行動してくださった。それが神様が私たちを愛しておられるということなのだと聖書は教えています。

②愛するとは時間を共有すること。

神様は一貫してご自身の愛する者たちと共に生きる、時間を共有することを大切にされています。もしあなたに愛する人がいるのなら、その人と時間を共有しなければなりません。

③愛するとは犠牲を払うこと。

言い換えれば痛みが伴うということです。これこそが愛するということの究極的な意味です。先ほど読みました一つ一つの聖書の言葉が、このことを教えています。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

3、私たちは何をしなければならないか。

私たちは互いに愛し合わなければならない。

行動する愛、共有する愛、そして犠牲を払う愛を、互いに生活の中で実践していきましょう。

もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。

ヨハネ13:35

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