その77 「永遠を過ごす場所」

2015.08.30

これで納得!!!救いの一本道⑥ 

ルカの福音書16章19-31節

罪の大元は神から離れている状態(これを原罪という)です。そしてこの罪が人間の心には「欠乏感」を、そして肉体には「老・病・死」をもたらします。そして、この罪を持ったままの人間が死を迎えるとどうなるかを知らなければなりません。

1、 死後の世界は存在する。

 このイエスの話でも明らかなように、聖書は明確にたとい私たちの肉体が滅びても、霊魂ははっきりと意識を持ち、いくべきところがあると教えています。

 地球上のあらゆる生物のうちで、死後の世界を想像することができるのは人間だけです。世界のあらゆる宗教が死後の世界を教えているのは、逆に言えば人は本来そのことを直感し、永遠を求める存在だからと言えるでしょう。人はその創造の際に神の霊によって生きるものとされたからです。

2、 人間はどちらかに行かなければならない。

 さらにこのイエスの教えから明らかなのは、人間には死後に行くべき場所は二つあるのだということ。そして一度行ってしまうと、もう後戻りも、もう一つの場所に行くこともできないということです。一つはラザロが行った安らぎと慰めの場所であり、もう一つは金持ちが行った熱さに苦しみ、希望のないところです。神のいない場所、神と永遠に離れてしまう場所には苦しみしかありません。

3、神は人を見捨てない。

しかし神は人を見捨てないのです。神から離れて罪を背負っているために、「生きてても大変」な私たち、そして死んだ後は永遠に神から離れ、苦しみ続けなければならない「死んでも大変」な私たち人間のために、神は御子イエス・キリストをプレゼントしてくださいました。この方を信じるだけで、神との関係が回復され、神の子としてくださり、「生きても大丈夫、死んでも大丈夫」にしてくださいました。人を地獄に送ることが神の望みではありません。何としてでも愛する人間に戻ってきて欲しいというのが神の愛です。

①神は聖書を与えてくださった。

せめてラザロを送って自分の兄弟たちがこんな苦しいところに来ないようにしてくださいと頼む金持ちに対してアブラハムは言います。「もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら…」これは聖書のことです。聖書の言葉を聞こうとしない、信じようとしないのなら救われないということです。

②神はキリストを与えてくださった。

その後アブラハムはこう言います。「たといだれかが死人の中から生き返っても、 彼らは聞き入れはしない」と。そして神は御子キリストをよみがえらせてくださいました。そして弟子たちの証言を通して、悔い改めて神を信じ、神との関係を回復するようにと今も呼びかけておられます。

このキリストの十字架と復活を信じますと告白するならば、神の霊が入ってくださり、たとい一時的にこの肉体が滅びても、私たちの霊と魂は神のもとに帰り、新しい世界で新しい身体もいただき、永遠に生きることができるのです。神はこれを何の条件も付けずに、ただで私たちにくださったのです。どうかこのチャンスを、今自分のものとしてください。

人間には、 一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている。ヘブル人への手紙9:27