その209 神を神とせよ モーセの生涯⑬

2019.11.03

「神を神とせよ」 モーセの生涯13

出エジプト記 32章1-35節

モーセが山に登ってからの40日間は、ふもとで待っているイスラエルの人々を不安にしました。「モーセは我々を見捨てて逃げたのかもしれない。あるいは、死んだのかもしれない。これから我々はどうしたら良いのだろうか・・・。」民たちはモーセの兄アロンのところに行って「私たちに先立って行く神を、造ってください」と訴え、金の子牛をつくって拝み始めたのです。これをご覧になった神様はモーセに警告し、彼らを滅ぼすことを宣言なさいました。しかしモーセは何とかして神様の怒りをしずめ、民たちが滅びないように間に立ったのでした。

1.人間には自分のために神をつくってしまう弱さがある

 モーセが目の前にいて、「主はこう仰せられる」と言っていた時は、多くの人々は心配せずにモーセについていくことができました。しかし、一度そのモーセが見えなくなってしまうと、その背後におられる神様でさえ、分からなくなり、信じることができなくなってしまったのです。このことは、私たちすべての人間の弱さを表しているのではないでしょうか。私たち人間は、ついつい生きてゆく中で、具体的な導きを求め、不安な気持ちを抑えるために、目に見えるものを求めるという弱さを持っているのです。

 私たちクリスチャンの特権を確認しましょう。私たちには聖霊と神の言葉である聖書があります。私たちがイエス様に出会い、「この方を信じます」と祈って告白した瞬間、聖霊という神の霊が私たちのなかに入ってくださいます。そしてその後の人生を導いてくださいます。また聖書は聖霊によって書かれた神の言葉です。私たちが謙遜な柔らかい心でこの聖書を読むならば、また日曜日の礼拝で、この講壇から語られる言葉に耳を傾けるならば、聖霊が聖書に書かれていること、講壇で語られた言葉を悟らせてくださり、教えてくださり、どのようなときにも確信を与えてくださるのです。この聖霊の導きと聖書の言葉以外に、私たち人間が明確な安心を持って生きる方法はありません。

2.人のために祈ることの大切さ。

 モーセは「偶像を作って拝んだイスラエルの民を滅ぼす」と宣言された神様の前に立ち、「イスラエルの人々をどうか滅ぼさないでください」と願っています。「あなたの書物から、私の名を消し去ってください」というのは、分かりやすく言うと、「自分が天国に行けなくなっても構いません」という意味です。モーセはそれほどまでに、民を愛し、何とかして彼らを救いたいと願っていたのです。

 このとりなしの姿は言うまでもなく、イエス・キリストの十字架の上の姿に繋がります。「自分の身はどうなってもいいから、この人たちを助けて欲しい、救って欲しい」というのが、聖書の教えるとりなしの姿であり、愛の姿です。

私たちの周りにも、実に、私たちのとりなし、「神様。どうか赦してあげてください」という祈りを必要としている人が多くいるのではないでしょうか。私たちはこれらの人々を見て神様に「どうか彼らを赦してください。」と訴えているでしょうか。私たちもとりなしが必要です。誰かに祈っていただく必要があります。そして私たちの周りの人たちも私たちの祈りを必要としています。どうかこれからもこの教会を通して、多くの人の罪の赦しのため、多くの人が神様に出会って人生が良い方向に変えられるようになるため、神様の御国の前進のために祈っていきましょう。

そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」 ルカ23:34 

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする