その69 「変化を恐れない」

2015.06.07

イエスのたとえ⑱

マタイの福音書9:14-17

 「真新しい布で古い着物の継ぎをする」「新しいぶどう酒を古い革袋に入れる」という二つのたとえが語られますが、ここでイエスが教えていることは、「古いものと新しいものは共存できない」ということです。キリストがこの世界にもたらされたものは何でしょうか。そしてそれを受け取るために、私たちは何をしなければならないのでしょうか。

1、人は思い込みに縛られる。

 「なぜ、先生のお弟子さんたちは、私たちやパリサイ人のようには断食しないのですか。」イエスとその弟子たちの姿が、当時の宗教的慣習とあまりにもかけ離れていたために、彼らは率直にイエスに尋ねたのでしょう。イエスは神の御子であるご自身の到来は、もはや今までの古い思い込みや生き方では受け止められないと教えます。宗教家たちは目の前に神を見ながら、自分たちが「こうあるべきだ」と思い込んでいるものに縛られていたために、本当の喜びを得ることができなかったのです。

 人は知らず知らずのうちに「こうでなくてはならない」「こうあるべきだ」という固定概念に縛られています。自分だけでなく他人も同じようであるべきだと思い、それがさらに自分を縛り付けます。新しい人生が用意されていても、その古い思い込みによって受け取れないということがあるのです。

2、キリストは私たちにいのちを与える。

 キリストは死んだ行いの概念や宗教的しきたりを新しくするために来られたのではありません。私たち人間が創造主である神と向き合い、受け入れられるための新しいいのちを与えるために来られたのです。このいのちをいただくときに、人は古い自分と離れ、新しい人生を生きるようになります。そうすると今まで大事だと思っていたものが大事だと感じなくなり、失いたくないと思っていたものが、無駄なものであったことに気付くことがあります。

 キリストとの出会いは今も私たちに本当のいのちを与えます。

3、キリストのいのちを保つために、私たちは変えられ続けなければならない。

 イエスは「新しいぶどう酒を貯蔵するには、新しい皮袋を使います。 そうすれば両方とも、もつのです。」と言われました。古い思考パターンや古い生き方のままで、キリストのいのちを保ち続けることはできません。キリストのいのちを持ち続けたいと願う者は、自分が「変わること」、いや「変えられる」ことを恐れず、むしろ日々「変えられ続ける」ことを求めていきます。キリスト信仰とは宗教的概念を学ぶことではなく、神との関係を築いてゆくことだからです。

 私たちは聖書を読むこと、祈ること、そして聖霊に満たされることを通して、生活の隅々まで働かれる神の御業を認め、御心を知ることができるようになります。日々キリストの喜びを抱きつつ、本当のいのちによって歩んでいきましょう。

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 2コリント5:17

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