その231 主に用いられる器となるために

2022.01.16

出エジプト記17章8-13節

ヨシュアの生涯①

ヨシュアの生涯という新しいシリーズをはじめます。モーセの後を継いだヨシュアが、どのようにして神様の御心を生きたのか見て行きましょう。ヨシュアは決して、モーセが死んでから突然現われ、後継者になったわけではありません。随分前からモーセと行動を共にして、仕えていたのです。ヨシュアのように主に用いられる器となるためには、私たちはこの信仰生活の中で、どのようなことを重んじて、どのような心構えでいるべきなのでしょうか。

1、身近な人に仕える。

ヨシュアはモーセに仕えて来た人でした。数ヶ月や数年ではありません。40年近くの歳月をモーセに仕えたのです。彼は非常に忠実であり、いつもモーセのことを一番に考えていました。彼は忠実に1人の人に従い通したのです。

私たちももし、この人生を主に大いに用いていただきたいと願うのであれば、身近な人やものごとに対して忠実になり、仕える心で奉仕することが必要です。それは神様からの将来のための大切な訓練であるかもしれないのです。イエス・キリストご自身も人に仕えるために来られ、そして弟子たちにも仕えるようにと教えているのです。それが、主に愛され、用いられるための大切な訓練であるのです。どうして仕えることをしらない人が、人の上に立つことができるでしょうか。

私たちは人に仕えることを通して、主に仕えることができるし、また将来大切なことを任される訓練ともなります。そのことを覚えながら日々を過ごしていきましょう。

2、主とともに過ごす。

ヨシュアはモーセとともに何十年という日々を過ごしましたが、それは同時に主とともに過ごした日々でもありました。昨年まで見てきたように、モーセのリーダーシップは決して万全ではありませんでした。時折クーデター騒ぎが起こり、人々が批判し、非難し、時にはモーセを殺そうとしたこともあったでしょう。ヨシュアが長年モーセと共にいたということは、そのような時でさえも、離れなかったということです。何も問題のない人に長年仕えるというのはそれほど大変ではないかもしれませんが、問題だらけの中で、ずっと一緒にいるというのは並大抵なことではありません。では何故それができたのでしょうか。勿論モーセ本人の人格もあったでしょうが、ヨシュアはモーセとともにおられる神を知っていたからに違いありません。

もし私たちが神様に用いられる器となりたいのであれば、神様とともに過ごさなければなりません。神様が何を望み、何をなされようとしているのか知らなければ私たちは何もできません。そしてそれは、神様と過ごす時間によって決まります。毎日が主が過ごす時間であるように生活を聖め、日々主との時間を求めていきましょう。

主とともに過ごす時間を大切にしましょう。そしてそれが、神様に用いていただける大きな訓練となることを覚え、将来のために、自分を聖別し、大きな志を持って、この信仰生活を貫いていきましょう。

今週の暗証聖句

私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。詩27:4

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