2026.05.24
エペソ人への手紙2章10節
人生の意味は何でしょうか。成功することでしょうか。お金を持つことでしょうか。人から認められることでしょうか。
多くの人は「もっと得たい」「もっと受けたい」と考えます。しかしイエス様は全く逆のことを言われました。「受けるよりも与えるほうが幸いである。」なぜでしょうか。それは神ご自身が「与える方」だからです。神に似るとは、「与える者」になることです。
そして私たちは、そのために造られました。
1,私たちは神に仕えるためにつくられた。
私たちは良い行いによって救われるのではありません。救われたから良い行いをするのです。神には、一人ひとりに目的があります。
しかしここで一つの問題があります。多くの人がこう思います。
「私には何もない」「私には力がない」「私には資格がない」
その通りです。自分の力だけなら足りません。だからイエス様は弟子たちにこう言われました。
「エルサレムを離れないで、父の約束を待ちなさい。」弟子たちはイエスと三年半歩いた人たちでした。それでも主は、「まだ始めるな」と言われたのです。なぜでしょうか。神に仕える働きは、人間の能力だけではできないからです。知識だけでもない。経験だけでもない。聖霊の力が必要なのです。
2,神は私たちを特別に形づくられた。
神は私たちを適当に造ったのではありません。神は一人ひとりを独自にデザインしました。しかし重要なのは、これらは単なる才能診断ではないということです。聖霊はこれらを生かしてくださいます。モーセは口下手でした。ペテロは失敗の多い人でした。パウロには迫害者という過去がありました。しかし神はそれを全部用いられました。失敗さえも神の材料になりました。
だから私たちは、「私は完全になってから奉仕します」と言う必要はありません。神が求めているのは完璧さではなく、謙遜さと忠実さです。そして聖霊は、欠けた私たちを補ってくださいます。
能力のある人を神が使うのではありません。神に委ねる人を神が使われるのです。
3,神に仕えるとは人に与えることである。
神に仕えるとは何でしょうか。礼拝に出席することだけではありません。神に直接何かを渡すこともできません。私たちは人に仕えることによって神に仕えます。励ましの言葉を与える。時間を与える。愛を与える。赦しを与える。祈る。奉仕する。
その時、実は神に仕えているのです。しかし正直に言うなら、私たちはいつも人に与え続けることはできません。疲れます。嫌になることもあります。自分中心になります。だから必要なのは努力ではなく、聖霊による愛です。聖霊が私たちを満たす時、神の愛があふれ出します。愛されている人だけが愛を与えられます。満たされている人だけが与えられます。
働きの前に必要なのは、計画ではありません。能力でもありません。
経験でもありません。聖霊に満たされることです。聖霊は私たちの賜物を生かし、心を燃やし、能力を用い、個性を祝福し、経験を神の目的に変えてくださいます。
「このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」 使徒20:35