2026/1/25
38年間病気に苦しんでいた男性がベテスダと呼ばれる池のほとりにいました。池の水が動いたときに真っ先に飛び込んだら治ると信じていたのです。そこにイエスが通りかかり、「よくなりたいか」とたずねます。
1、イエスは私たちの痛みを知っている。
「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」5:7
この男の答にこそ、人間の根本的な悩みが描かれています。私たちは、問題そのものからいつの間にか目をそらし、どうでも良いことに心を向けるのです。「誰も私を助けてくれない。誰も私を愛してくれない。誰も私を構ってくれない。」周りの人々、周りの状況のせいにばかりして、根本的な問題をいつの間にかすみのほうに押しやってしまいます。
しかしイエス・キリストは自ら進んでこの男の前に来られ、声をかけられたのです。イエスはこの男の痛みをすべて御存知でした。何が問題で、どんな苦しみがその男を苦しめていたのか、御存知だったのです。私たちが本当に求めているのは、私たちの痛みを知ってくれる人、理解してくれる人なのではないでしょうか。この方が、あなたの問題すべてを御存知で、あなたを理解し、受け入れてくださる神であるということをこの朝も信じて、従っていこうではありませんか。
2、イエスは私たちの問題を解決できる。
イエスはこの38年間病に苦しむ男の問題をいっきに解決しました。イエスは、男の「誰も私を池に入れてくれる人がいません」という訴えに同情されたのではなく、彼の本質的な問題を即座に解決されました。彼の問題は誰も助けてくれないことではなく、病気だったのです。38年も彼を苦しめていたその問題を取り除いたのです。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。マタイ11:28」
今何か問題に苦しんでいる方がおられるかもしれません。どうか、この朝、ここにイエス・キリストというあなたの友、あなたの助けぬしがおられることを思い出してください。彼の前にあなたの重荷をおろし、楽になって、新しい一週間を始めましょう。
3、イエスは私たちの罪を取り除く。
「その後、イエスは宮の中で彼を見つけて言われた。「見なさい。あなたはよくなった。もう罪を犯してはなりません。」5:14
神の子である彼は何の罪もないのに、犯罪者として十字架に黙々と架かられ、苦しまれ、死なれました。しかし聖書はこのことこそ、全人類の罪の身代わりであったと言っています。
この罪の問題が分かった時に、私たちは自分の悩みの根本原因を悟ることができます。この罪の問題が解決されたと分かった時に、私たちはそれまで知ることのできなかった喜びと平安を持つことができます。
「この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」マタイ1:21