その63 「十字架の目撃者」

2015.03.22

マルコの福音書15:20-22

クレネ人シモン

イエス様の十字架を途中から代わりに担いで歩いた人

そしてその後家族ともども信者になったと思われる。彼の姿が私たちに教えていることは何か?

1、キリストとの出会いには様々な形がある。

 シモンは突然イエスの十字架を担いで歩くよう強制されました。まさに振ってわいたような災難だと思ったことでしょう。しかしそのことがキリストとの出会い、教会との出会いとなったのでした。 

 人間がイエス・キリストと出会う形、それは決して一つではなく、様々であり、その一つ一つが、すべて神様の素晴らしいご配慮によるのです。皆さん一人一人の、このイエス・キリストとの出会いの形は、それぞれ違ったものであるに違いありません。しかし、その形がどうであれ、それは間違いなく神様が深いご配慮のもとに介入された、人生で最大、最高の出会いであったことを知って下さい。神様の赦しなしには、人は誰もイエス・キリストと出会うことはできません。

あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選・・・んだのです。ヨハネ15:16

 これが私たちの喜びの源です。私たちは皆違うけれど、皆神様に知られ、覚えられ、導かれて、キリストと出会い、今はこうして主に人生を明け渡し、主を礼拝する者へと変えられています。この恵みを今日も、そして今週も感謝して、過ごしていきましょう。

2、十字架の意味を知ることがキリストを知ること

 シモンはこの時までイエス様のことを何も知りませんでした。自分に降りかかった災難の元凶としか見えなかったことでしょう。しかし彼はきっとイエス様の十字架の姿を見て、何かを知ったのです。シモンは、ただ、十字架につけられ、何時間も苦しみ続ける姿を見ただけです。しかし、十字架につけられたイエス様の姿が、すべてを語っていたのです。十字架の意味が分かった時に、彼はまことの救い主、キリストを知ることができたのでした。

 私たちも、もしこの主キリスト・イエスに出会ったというのであれば、彼の十字架の意味を知らなければなりません。イエスのことなら知っているという人はこの世界に多くいると思いますが、イエスの十字架の意味を悟らない限り、本当に知っているとは言えないのです。この朝私たちは、もう一度この悲惨な十字架、苦しみの十字架が、私たちにとってどのような意味を持つのか、噛みしめましょう。

3、十字架を負って歩く幸い

 キリストが何者なのか知ったシモンにとって、十字架はもはや呪いの象徴ではありませんでした。十字架は栄光のシンボルとなったのです。苦しみを幸いに変える力が、信仰にはあります。その力の源は十字架です。私たちがこの十字架を厭わずに、背負って、キリストの後に従ってゆくならば、それは勝利の人生になるのです。

 これからの生涯、自分も自分なりに、自分の十字架を負って、主に従っていこう、苦しみの先にある、勝利と喜びに満ちた生涯を目指していこう、とこの朝も決断して祈ってまいりましょう。

だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。マタイ16:24

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